2011.03.09 Wednesday
海・・・そして、煙ったように咲くネムの花と、ガス灯の情景・・
今日は、父親が新しくかかることになった、明石医療センターへ行くため、早朝から出る息子を送り出してからとびだしました。
JR西宮まで約25分バスに乗って、駅から父に電話を入れて、快速電車で約1時間。 三宮や神戸駅を過ぎて、須磨あたりになると、車窓からすぐそばに、また我が家のベランダから見えるヨットハーバーの海とは違う、砂浜に続く海が見えて・・・大みそかに食材を運んだ時や、少し前に友人と垂水まで乗ったときとはまた違う海の色に、ずっと見とれていました。 垂水あたりでいったん見えなくなった海が、舞子・塩屋あたりで、明石海峡大橋とともに、すぐ横に。 ほんとにどうしてこんなに、海を眺めてたら落ち着くのかな・・と思います。 父と、一日仕事を覚悟で長い待ち時間をすごしながら、また色々と話もし、お互い持ってきた本も少し・・・そして帰りの電車内でも少しづつ・・読んでいました。 大好きな須賀敦子さんの文章。 全集はいつ読み終わるのか・・と先は長いけれど、今やっと2巻目の真ん中あたりへ・・「ヴェネツィアの宿」の‘旅の向こう’の章。 私は会ったことないけれど、父親は会ったこともある敦子さんの両親。その間の色々についても、娘の目から、母親をいたわりながら、かかれた文章は、とても私的なことですら、なんて詩的に・・どこか切なく・・つづられていて、胸を打つのです。 若き日に青島(チンタオ)で暮らしたことのあるお母様が、語った事から 「「私や妹にとっても(妹の良子さんには何回か私もお会いしています)、青島の話は、もっとも身近な「外国」についての消息で、日本語にはない「チンタオ」というふしぎな音とともに、私たちの世界を異国情緒で浸蝕したのだが、母にとっての「外国」は、まずなによりもロマンチックな場所なのだった。初夏の日、夕方になると、ぼうっとした桃色の花をひらくネムノキの並木道の話を、母はむかし見た絵をなぞるようにして、私たちに話してくれた。 「ネムノキの下を歩いていて風が吹くと、こまかい、羽毛みたいな葉が、さらさら揺れるのよ。その葉は、手でさわると、たちまちつぼんでしまうの。そして、日が暮れるころに、ピンクの花が、煙ったようにふわっと咲くのよ」 ネム、という暗示的なひびきが、夏の夕方や、煙ったみたいに咲くピンクの花のイメージに重なった。その花が咲く時間になると、葉陰の街灯に長い竿をもった点灯夫が、ガス灯を点けにやってきた。 [竿の先をするするとのばして、灯口につけると、ぼっと小さな音がしてガスの火がつくのよ」 母がそういうと、たよりないガスの炎と淡色に咲くネムの花が、私たちのあたまのなかで、ゆらゆらと揺れた。」 その情景が、霧にかすむような淡い情景が、まさに絵のように私の心にも浮かんでいました。 こういうふうに、 言葉で・・・、 まるで美しい絵のような情景を、読むものの頭の中に創造することができる ・・すごいなと思います。 そして、敦子さんの文章になってはいるんだろうけど、お母様のこういう語り伝えが、その元になっているのだなと・ ・ 今日も病院での長い待ち時間に、父親が語る、私のしらない時代の話・・ 私の作品とはまた別次元ながら、そういう時代を生きた人の気概というか、実際の想いを、しっかり心に留めないと・・という想いで、聞いていました。
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