YOKO'S SCENE

画家・井上よう子のNEWS。
人の存在の切なさと はかなさと 温かさ  
今日、ギャラリー島田からの9月のインフォメーションが届きました。

9月4日(土)〜15日(水)の私の展、11日(土)〜29日(水)の石井一男さんの展、18日(土)〜29日(水)の日下部直起さんの展の案内が載っています。
いよいよ迫ってきた・・と、これを読まれるだろうたくさんの方々思って身の引き締まる思いです。

DMには島田さんが言葉を載せて下さいました。
インフォメーションの私の展の欄には、作家の言葉として、私が言葉を寄せました。

このブログを見て下さってる中でも沢山の方が見られてるかもしれませんが、見られない方々へ・・その言葉を・・


「井上さんの個展を最初に手がけたのが‘91年。
作家、作品、家庭人としても、その歩みをつぶさに見てきた。
yoko-blue-sceneにこめられた人の存在の、切なさ・はかなさはとみに陰影を増し、けなげに人を愛するひたむきさが、詩的感情にとどまらない言葉のない心の歌を奏でる。
過ぎた時を呼び戻すことはできない。
しかし、微細に降り積もったそれらの日々の記憶こそが私たちを支え、明日への一歩を踏み出させる。      島田誠    」

この温かいエールの言葉を読ませていただいた時は、最初の個展前から21年間見てきてくださったことへの感謝の思いがあふれて涙がにじんでしまいました。



「永年風景の中に、とても大切な、人の存在の、切なさ、はかなさ、温かさを、人自身は描かずに描き続けてきました。
歳を重ね、色んなある意味過酷な体験も経て、一番たいせつにしたいものは、やはりそこに在る・・・という想いは強くなっています。

影があるから、光は輝いて見える。
静かなものにこそ、時に、強いメッセージを感じる。

絵でも、人生でも。。。と、しみじみそう感じています。 

                            井上よう子」



今日も絵に向かいながら、大切な友達の辛いできごとの色々をメールで知ることがあって、人の存在も人と人の関係も、なんて儚いものなんだろうかと・・ちょっと切なくなっていました。


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瑠璃色
日曜は、6時起き7時過ぎに出て、京都モーネ工房へ行ってきました。
(寝不足で高速道路飛ばすのは危ないなとちょっと実感・・)
絵の具のあれこれを知り、画材に親しんで貰うワークショップ、画材メーカーのターナー色彩さんに来て貰い、ちょっと絵の具の作り手からのレクチャーもしてもらったあと、自由に沢山の絵の具やメディウム使わせて貰っての楽しい画材講習。
O大学へもモーネへも、沢山の画材を運んで試させて下さったターナーさんの協力あったればこその、参加者がほんとに楽しめるワークショップになって…
ターナー・Hさんにまた今回も感謝でいっぱいでした。
(モーネ工房のHPのblogにも画像付きで報告されてます)
そして、モーネのワークショップ参加者は本当に皆さん熱心に熱中して取り組んでくれはるのがいつも凄いなあと思ってしまいます。(徳島県からの参加者もおられたし)

で、その時、ターナーのアクリルガッシュは200色以上あって…に皆びっくり、使える絵の具の色々に参加者とともにわぁこんな色もあるんだ…と、最近なかなか画材店にも行けず、通販で大容量のを購入しがちな私もワクワクしながら見入ってしまいました。
とは言っても、自分の作品に使う色は、結構決まった何色かになるんです。
今日も、制作しながらそれを実感して苦笑。

でも…

ターナーさんから出ている「和」の色シリーズを、好きなブルー系中心に何色か買って時々試しながら使っているんでしたが、今、個展に出す作品の海に、「瑠璃色」というブルーを、ここ何日かで薄く薄く、何回も塗り重ねてみています。
いつも一番よく使うブルーはウルトラマリンブルー。
でも、画面にほとんど海のこの絵には瑠璃色があっているかも…
今もその絵に向かいあいながら、薄くパールカラーも重ねたりしつつ…

今日日中は、県立西宮病院でまた受診日だった父親と検査後に病院近くでクロワッサンサンドランチ。
色々な話しから、戦争中の若き士官だった父親の、死と隣り合わせ、まさに紙一重の話しなども聞いたりもして…
あの時死んでたら、あんたも生まれてないな…
私は軍旗を守る大役を仰せつかったおかげで、今思えば軍旗に守られてたんや…
士官学校はスパルタやったけど、そこで一生懸命頑張った事で、そういう大役も貰ったし、敵が目の前から一斉射撃してきた時にもとっさに伏せて転がって川に助かる事もできた、一生懸命頑張った事は身を助ける…

こういう話しをじっくり聞く時間というのも、大事なかけがえない時間だな・・・思ったことでした。

父親を送り、帰ってまた制作…
DMもちょっと書いてから夕食作り…洗濯物取り込みお風呂わかし…
また制作しつつ・・一日はあっという間に過ぎてゆきます。

そして、末期がんのご主人の看護に追われる友人からのメールに、胸が痛くなりながら、瑠璃色の海を見つめています。
| - | 01:13 | comments(2) | - |
優しさにつつまれたなら・・・
かつて大学時代にユーミンと出会った・・・「ひこうき雲」や「かげりゆく部屋]「ベルベットイースター」「中央フリーウェイ」・・先日書いた「海を見ていた午後」や「カンナ8号線」なんかも・・
とにかく、並んだ言葉がいちいち胸に響いた・・・悲しいほどお天気・・とか・・
光があふれる場所にこそ音が遠ざかって悲しみが漂うこともあることを体験してもいたし。

ちりばめられた言葉や、タイトルに、ひとつひとつ絵が描けるような気がしたものでした。

変調された独特のメロディーにのって運ばれる言葉に、それがユーミンの日々の努力(友人たちの失恋や出会いや日々のエピソードにもできるだけ耳を傾け、時間がなくても海の見える公園で海を眺めたり映画を見たり音楽を聞いたり感性を研ぎ澄まし)に裏打ちされてのものであることは、ある雑誌のユーミン特集での彼女自身の言葉によって知るのでしたが・・・

昨日も一昨日も電車に乗る時に、また言葉が浮かんで書きとめようとするのに、いつものブルーのノートをかばんからだして家で見ていたためになくて、帰ってから書こうと思っていても、やはりそのときすぐ書き留めないと消えていってしまうのでした。(記憶力のなさに情けなくなりながら・・)
言葉ってはかない・・

今日は、朝からNHK文化センター神戸で「大好きな絵を描こう講座]、自分の個展も迫って大変な状況なんですが、この講座の方々の年に一度の展覧会の搬入も迫っていて、なんと個展搬入の前日。
今日もそれぞれの方の展覧会に出す作品の相談に応じ決めていったり、搬入の最終確認をしたり・・通常の絵の制作指導もしつつ大忙し。
でも、皆さん本当に熱心で一生懸命描いてはって・・・自分もがんばらないといけないなと、また思わせてもらうのでした。

そのあとギャラリー島田へ。今日スタートの片山みやびさんの個展。
芸大7年くらい後輩とはいえ、画家一本でやってるある意味私なんかよりよほどプロをいく彼女はもうすぐ文化庁から1年間デンマークへ子供らも一緒に留学するのです。
私も、展覧会でYUKO宅へ滞在させてもらったそれぞれ1週間から10日のデンマーク3回の経験でも、いっぱい涙を流してしまうほど感動の連続だった国。
今回もうすぐの私の個展にも、一昨年のデンマークでの風景が自分なりの心象風景になってたくさん登場するくらい。
きっと彼女の1年間はすごい体験になるのだろうな・・・がんばってほしいな・・
そう思いながらついいらぬ心配のよけいなこともいってしまった先輩でした。

ギャラリー島田の島田さんやウグイスさんと会ってもいつもホッとする私、帰ってまた個展準備しなければと思いつつホッとする友人にも会えて・・
なんだかまたユーミンのフレーズ

優しさにつつまれたなら・・

人は弱いけど、人に元気をもらって頑張れる、そう思ったことでした。

明日は早朝から息子はサッカー公式戦。今からユニフォームのゼッケンを縫いつけます。
昨日先生に背番号選ばせてもらえたとかで、息子が選んだのはやはりヴィッセル神戸の大久保と同じ13番。
「大久保選手くらいガッツでがんばりや」

明日は私は同じく早朝出発で京都モーネ工房でのワークショップへなので、遠くからエールを送ります。
| - | 23:26 | comments(0) | - |
時間に追われる中でも心豊かに・・
刻一刻せまりくる個展・・今の自分の持てる力を出し切っての展覧会にしたい・・リスクを負って企画・宣伝してくださってるギャラリーに貢献できるようにと祈りつつ・・昨日も今日も制作や搬入の段取りやら、家事雑事にも追われながら、とにかく頑張るのみ。

昨日は、日中頑張って制作したあと、夕食準備も早目にして、何とか行ける!と、ギャラリー島田の火曜サロン・19時からの[ギャラリーで落語です。島田亭「笑福亭 呂鶴一門会」へ、お手伝いがてら飛んでいきました。

月2回ほど、火曜の夜にギャラリーでのミニコンサートや講演会や・・格安の参加費ででも中身は高度な、ギャラリーのボランティア精神で開催されるサロン。
お世話になってるせめてもの恩返しにと、よくお手伝いしていたものの、成安造形大の仕事が火曜日に入ってからは、滋賀県で6時過ぎまで授業をしてからはいくら車飛ばしても間に合わないので、失礼すること多くて、せめて大学が休みの時は手伝えれば・・という思いと、生の落語を聞いたことない私に、これは行きたいサロンやとの落語通の友人の言葉に背中押してもらって・・でも無理してでも行ってよかったと感謝でした。

忙しい中はストレスもたまりがちですが、本当に声をあげて笑わせてもらった珠玉のプロの芸・・いいな、知らなかった落語の世界も・・帰ってからまた深夜に制作しながらも、心豊かにならせてもらえたことでした。
(ギャラリー島田のサロンなどのお知らせは、メールマガジン配信登録すれば無料で知らせてもらえます。http://www.gallery-shimada.comから登録できます。次のサロン・女義太夫は、私の個展会期中の9月14日です)

そして今日はまた3時間睡眠で6時起き、息子の早朝から終日のサッカー試合に、暑い中いたまないようにしっかり火を通したおかずあれこれ詰めてのお弁当作り、朝食もしっかりととらせて7時過ぎに送り出しました。

それからまた制作・・でも・・
ホーム校での試合だったので、試合の時間を見計らってちょっと応援にも。
本当に今日はこれでもかというほど照りつけての炎天下の3試合に、さすがにいつも元気いっぱいの子供たちも、熱中症を心配するグロッキー状態。
朝持って行った2リットルのスポーツ飲料も、昼前にのぞきに行った時にすでに空っぽ。
さらに1.5リットル2本を持って行ってよかった・・「足りないほかの子にも分けたげね]、といいつつ、無愛想に「ありがと」と受け取る息子に手渡して、真っ赤な顔でしんどそうな子には「頭痛くない?大丈夫?」声かけたりもして、しばし応援して帰ってきました。

ともに応援してたお母さん仲間も、」今日は一段と暑いよね・・1年の子らまだ体力ないしふらふらやね・・」
今日は主将Oくんが休みだったため、副主将の息子が主将がわり。先生からの指示を受け、皆に指令をだして、おとなしいキャラが精いっぱい声だして頑張っていました。(親ばかすみません)

さすがに帰ってからは何とかシャワー浴びて夕食何とか食べたら、布団に倒れこみ状態で爆睡モードに。
いつもは自分でやりや!という泥んこユニフォームや靴下の手洗いも、お弁当箱洗いも、仕方ないな・・今日はおかんが・・で
明日も朝からサッカーだし、今から洗濯。
洗濯板でごしごしやってもなかなかとれない泥んこ汚れは難儀だけれど、今このときしか見れない(仕事の日も見れないし)なんの欲得もなくしんどくても頑張る子供たちの真黒な顔、光る汗・・・これも心豊かに頑張れる糧だなあ・・と思ったことでした。


| - | 23:45 | comments(0) | - |
車窓から、海・・そして山・・
15日、お盆も最後になってやっと明石のお墓参り。
朝7時ごろは曇っていて、これくらいの天気がちょうどいいねと家をでたのに、明石についてお墓に参る時にはかんかん照り。「暑〜〜〜〜い!」といいながら、父の家でやかんにいっぱいお墓を潤す水をいれ、お花やお線香、マッチや花ばさみやぞうきんももって、お墓までてくてく。
ジブリの名作「となりのトトロ」を思い出すような・・・向こうにこんもりとした森があり、青々とした稲穂の輝く田んぼが広がる間の道を、空の入道雲を見上げたり、田んぼの上を飛び交うたくさんのツバメに見入ったりしながら歩きました。
高齢の父親はもうちょっと無理だからとお墓に行けないまま迎えた15日で、周りのお墓がお盆で来られた方々に綺麗にしてもらってる中で、15日になってもまわり枯れ草ぼうぼうの、お花も朽ち果てた長谷川のお墓・・
一生懸命汗だくになりながら草もひいて、枯れたお花を捨てて綺麗な生花をいけてお線香をあげて・・・ぞうきんで綺麗にしながら「暑かったでしょう」とお水かけてあげて・・
小さいころうんと可愛がってもらった長谷川の祖父母・母・姉に語りかけながら手を合わせ、また来るね・・とあとにしました。
子供たちも暑がりながらも動いてくれていました。

帰りがけにやって来られた見知らぬ若夫婦も気持ちよく挨拶されて、なんだか、清々しい気持ちに・・

やはりお墓参りって、自分に謙虚に向き合って、先になくなった人を敬う気持ちでお墓を綺麗にすることで、自分の心が・・日々の混沌の中で汚れてしまってる心が、ちょっぴり洗われるような・・そんな気がしたことでした。

15日はお盆休みのUターンラッシュのピークで、高速道路は大渋滞だとニュースで何度も言っていたので、電車で久しぶりの明石行き。
行き帰り、持っていくものや、持って帰ってくるものの、荷物が、車でないと大変ではあるのですが、でも・・・
JR西宮駅から、魚住駅(明石から3つめ)まで1時間弱、少し乗ったら座れて、ずっと車窓を眺めてゆられていたのですが、須磨あたりから、垂水、舞子・・窓のすぐ向こうに海があって、かつ反対側には山も迫っていて・・・こういうロケーションは神戸の西のこのあたり特有の、本当に心地よい風景。少し前に友人とも話したこと思い出したり・・
いつまでもこの風景を、海を、山を、眺めていたいな・・なんて思いながら、なかなかいい時間だったのです。

また、いつものブルーのノートを取り出して、ちょっと言葉を書き留めたりもしていました。


*  大切な物の大切さは  失ってみて  わかる 

*  一歩ひいてみること   それをわすれずにいたい  

*  静かに見つめたら、わかることがある

*  目を閉じれば見えること・・・

*  心を澄ませば聞こえてくる・・・・


  心の向こう側・・


(こういう言葉の断片が、作品に、タイトルに、なっていったりします)
| - | 00:27 | comments(2) | - |
発熱+胃が痛むとき
昔から、色々なことが重なって心身ともに飽和状態、許容量オーバーになると(身の程をわきまえずに突っ走るたちで・・)胃痛に襲われ、それが胃薬を飲もうが横になろうが治らずに酷くなる一方で、七転八倒両親を心配させ、救急病院に車で運んでもらったこともあるのですが・・
その痛みは本当にどんな格好しても眠りたくても眠れない、うめき声がでるほどで、過酷な部活のしごきにも、指を麻酔なしに縫われたりにも、人並みよりは我慢強いことには自信がある私も、なんともしようがない苦しさで・・でも、何とか苦しんだ挙句に眠りに着くことができてぐっすり何時間も眠ると、不思議なくらいにめざめたときには痛みはなくなるのでした。

たびたびそういうことがあった中3から高1のころ、何か悪い病気があるのではと心配した母親につれられて胃のレントゲン検査に行って、この若さで、胃壁があれてますねえ・・胃潰瘍になりそうな慢性胃炎ですと言われたりしました。
あれはやはり今思えば、受験を控えながら、姉のために辛い転校もがまんしたり、
それでも自殺してしまった姉、
それに伴って自分がしっかりしないといけない、自分もまだまだ親にわがままも言いたい思春期でも、自分は心配かけられないと何でも飲み込んでいた・・
でも、なんで自分だけがこんなに我慢しないといけないのかな・・ともちょっと思っていた、
今思いだしても涙がにじんでしまうストレスが一番大きかったんだろうなと思うのでしたが・・

最近は、そこまで胃が痛くなるより先に、熱が出ることのほうが多く、
今朝明け方4時ごろ、暑い部屋(我が家はクーラーはつけて寝たりはしたくなくて、皆が暑い暑いとクーラーつけて寝ても、12時過ぎには、私が消して窓あけるので、このところの熱帯夜には、暑さで早朝から目覚めるのですが)なのに、またすごく寒気に襲われてぶるぶる震えながら布団をいっぱい引っ張り出してくるまって・・・発熱。
しっかり水分補給して、たくさんくるまって少し朝方には汗もでて来てタオル何枚もでふきながら何回か着替え、多少下がってきたものの、日中もだる〜い微熱のまま何とか制作していました。

お盆に向き合う家族の色々な問題、迫ってきた楽しみでありながらも期待にこたえたい個展の準備・・秋からの大学の沢山の授業準備も、個展後11月の兵庫県立美術館ギャラリーでの展覧会準備もすぐせまってくるし、色々に考えだすとプレッシャーばかり・・
週明け月曜からはまた息子の夏期講習やサッカーの試合も続くし、週末にはまたNHK(こちらの皆さんの展覧会搬入も個展直前にあり)と、またモーネ工房での画材講習のレクチャーなどなど目白押し・・
DMの発送もまだ全く(手渡しできてる人のみ)だし、本当に時間を大切に体調を自己管理してしっかりしないと・・
なのに、少し絵も進んだしとちょっと心理的逃避行動に走ってしまって、結果帰って夕食作りながら立っていられないくらいの久々の胃痛・・
反省しきり・・・・。



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家族について想う時
今年もお盆がやってきました。
今年は今日13日に、井上のお墓参り。15日に実家長谷川のお墓参り。
井上の墓は亀岡の山中、少し前に高野山で50回忌法要を終えた井上父が眠り、長谷川の墓は明石の実家近く、父方の祖父母とともに母と姉も眠っています。

もうずっと(今年は失礼するけれど)、井上母かたの祖父母が眠る和歌山のお墓まいりにも行くと、お盆休みは小さい子供ら連れて暑い中3連続で、亀岡・和歌山・明石へ出向く、子供らが車酔いしたり、あとに熱出したりの結構過酷な、お盆が続いていました。

でも、亀岡のお墓参り後には井上本家にて、義兄夫婦が色々心づくしの集いを準備してくれたり、和歌山・橋本のお墓参りでは、井上母の実家を継ぐ叔父夫婦が温かくもてなしてくれ、明石の墓参りでは、こちらに来てるときは世話になるし明石に来た時くらいはと墓参り後に車で行くファミリーレストランで父親が皆の食事代を出してくれたり、父の隣に住む叔母も、顔出すのを楽しみにしていてくれたり・・・

お盆の行事は、日頃中々集えない家族・親類が、顔を合わせ親交を深める貴重な機会でもあるのだなと・・

今日も朝から、我が家自体も皆がそろうのは久しぶり、5人そろって家を出るのもめったにないことでした。
(JR高槻駅前から亀岡の霊園への長い山道行くバスでは、体調がもひとつの私は車酔いしてしまってしんどくなったり、色々ありましたが・・・・)、
そのあと京都モーネ工房の井上実家で、井上兄妹・甥っ子姪っ子総勢13名が集って、兄嫁・由季子さんの家族への色んな想いもきかせてもらって・・・
このところ体の具合が悪くて落ち込みがちだった井上母も、孫勢ぞろいで少し早目のお誕生日祝いもしてで満面の笑顔。

家族についてまた考える・・・よくも悪くも色々に向き合って・・・・
お盆って、そういうひとときなのかもしれないなと思います。

私の中でも、色々な想いが交錯したのでした。



| - | 00:14 | comments(0) | - |
夢と現(うつつ)と・・・・
明け方にふと目覚めて、なんだか意識がまだはっきりしない時・・見ていた夢と、現実空間との境目がはっきりしないままぼんやりとしてしまうときがあります。これは夢なんだろうか・・と・・。

フロイトの夢判断でも、人は寝ている間中ずっと夢をみていた時でも、覚えているのは目覚める直前のもので、それも、起きてからはどんどん記憶から抹消されていくから、枕元にノートを置いておいて、目覚めると同時に、何をおいてもすぐにノートに見た夢を書き留めるようにする、それによって夢の分析ができると書いてありました。
そして、そういうノートをもとに作品を作り出すアーティストも多いですね。(横尾忠則さんもそんなことしてはりました。あの方は色〜んなことやってはりますが)
デンマークのYUKOも、レクチャーで、夢に見たシーンをもとにしてイメージした素敵な作品をいくつか紹介していました(彼女の場合記憶力がいいからか、ノートにつけたとかは言っていませんでしたが)
私もかつて、いつか夢でみたような、ちょっとシュールでちょっと暗いブルーの、「Long Dreaminess」シリーズを描いたこともあります。

妙に変な、実際にはかけ離れた時空間にいて出会うことのないはずの人たちがそこで同時にいて私が対峙していたり・・もちろんそれが夢なればこそなんですが・・、へんな場面、不思議な情景が、そんな夢の一場面がふとした拍子に思い出されることもあります。
そうすると、それこそ自分は何を考えて・・??と、妙に考えこんでしまったりするのです。
結論は出ないにしても・・
夢はある意味願望充足がある・・とするとこの夢の意味は何・・?と自己分析。あの言葉の意味は・・?あの場所は何の象徴・・?

記憶力が落ちる一方だし(忘れ物名人だし)、そういう風に考えていながらも、すぐ断片的に薄れていって、あの意味はと考えて結論を出したく思ったのはどんな夢だったかな・・なんて事になっていったりもするのですが。
やっぱりときどきメモできるように、枕元にノート置いておこうかな。

何年か前に「心のお医者さん」という言葉に惹かれ、かつてお医者さんか画家かで迷って画家の道を選んだけれど、画家や教師をしながら[心のお医者さん]臨床心理士の資格もとろうかと勉強しかけて、、、人の心の分析もして、その話をすべて受け止めてともに解決をはかっていく大変さの一部を垣間見て、自分の考えの甘さをまた思い知らされたのでした・・・が、、
最近は、自分自身がよくわからなくなるときがあって、まず自己分析くらいしたい気になったりするのでした。

作品のタイトルや、イメージや、ふと頭に浮かんだ言葉は書きとめておこうと、小さなブルーのメモ帳は常に持ち歩いていて、昨日も電車の中でやたらメモ帳出したりしまったり繰り返して言葉を走り書きしていて、隣の女性に見つめられてしまいました。


昨夜は、早く寝て早く起きて仕事するという友人に習って、私も、夏休みの子供らの朝昼晩の食事や雑用にも忙しい日中前、みなまだ寝静まってるごく早朝から絵を描こうと、珍しく11時半ころに寝かけていたら、半年以上ぶりに東京から仕事で大阪に来た先輩から電話。
忙しく全国を飛び回って仕事してはる先輩で、たまに神戸や大阪に来た時に連絡くれはるし、東京に行ったときにはいそがしい仕事の合間を縫ってごちそうしてくれはる時もあったりしたので、なんだか夢うつつの受け答えに[寝てたん?ごめんごめん」
こちらこそ申し訳なく(たぶん、いつもの私なら十分まだ制作したり起きてる時間だし、聞きたいことがありはったようで)今日、9月の神戸での個展と、来年の京都・モーネでのY3展なども、ちょうどお仕事でこられることがあれば寄ってくださいねと、謝りのメールをしたことでした。

忘れたころに連絡くれはるような、でももう30年来の先輩・・もまた、ありがたい存在だなって思います。

そして今日は、早朝から制作。家族の3度の食事や掃除洗濯にも追われながらときに「海を見ていた午後」(ユーミン)
友人からの温かいメールに元気をもらって、また筆を握っていました。

このブログ、管理会社によると、もう容量が一杯で画像は送れないそうでアップできないのが残念なのですが、個展に出す絵、自分でも好きな感じに何点か出来上がってきています。あとは時間との戦い・・・
| - | 23:19 | comments(4) | - |
携帯から届くかな…
いまだ携帯からの書き込みができないのです。
で、管理会社と色々やり取り。
これはお試しメール、届くといいなって思いながら……
| - | 23:30 | comments(0) | - |
色々な出会いの不思議・・その温かい連鎖に感謝
今年の(2010版)「現代の洋画」マリア書房が、少し前に出て、送られてきました。
もうずっと前、公募展やコンクールに初入選した時から、そういう公の美術館の場での発表に伴い、例えば美術年鑑とか、今活躍する色んな画家が一覧できて、ある意味ランク付けされるかのページ割が合って・・一般庶民にしたら、百貨店やらギャラリーで見た画家の価値判断のよりどころになったりする有名な分厚い書籍本が、実は「あなたの作品を美術館で拝見しました。実力のある方を載せたいし載せませんか?」というちょっと心動かされる話の最後に、「ちょっとお金はかかりますが、雑誌に掲載してもらったりの宣伝料金の半額以下です。1ページまるまるならxx万円、半ページならxx万円。画歴と名前紹介だけの白黒ページならx万円です」
そういう電話勧誘から作られているのを知り、愕然としたのでしたが、
もちろんお金もないし、私はそんな大金無理ですからとお断りしたことの何と多かったことか・・
そして、それからそういう本を、絵が好きな親戚の家でも大事そうに置かれていたりするけど、公募展でう〜〜んなんでこの人が通ってるんんだろう・・って思うような人が、お金持ちだったら載っていたりして、ちょっと世間の人の価値判断は、お金のあるなしにも操作されたりするんだなと失望したのでしたが、(もちろんちゃんとした実力ある方々、努力されてる方々も多い中でのことですが)、
このマリア書房の本は、ギャラリーからの推薦で載せていただくことになり、一切お金の請求はなしに作品画像や資料を送って下さいとだけ言われ、重鎮と言われる絵描きさんも、若い新人(でも実力ある)も、みな同等に1ページ、作品画像と略歴と作家コメント。それがありがたくて、もう何年か載せて頂いてきました。
その今年の新刊に、私が寄せたコメント・・

「ギャラリーでは色々な出会いがあります。そして、そういう人と人との出会いが、とても心を温めてくれる・・・それを痛感した2009年でした。出会いに感謝しつつ・・自分の絵が誰かの心に、何か大切なもの、温かさや切なさや・・・、心に残る何かを届けてくれますように」

ギャラリーで出会った人から人へ、また色々とつながったり、温かい連鎖があって、一昨日もまた色んな出会い・・そしてメールをいただいたり・・
たまに困った出会いがあるときもあるのですが、そういう温かい連鎖には、元気を貰うのです・・色々な出会いに感謝。
| - | 00:32 | comments(0) | - |
忘れ物名人・・情けないけど・・情けが身に沁みる・・・
実は、本当に、どうしてこんなに・・って自分でも思うほどに、よく忘れ物をするのです。
最近数カ月の間にも、傘(友人と行ったお店)、カードケース(電車)、携帯(バス)、手提げかばん(お店)、資料本や画集数冊(大学の教室)・・昨日は、また、なんと財布、そしてカーディガン・・・

もう本当に情けなくなるのですが、それがまた、ありがたいことに、ちゃんと戻ってくるので、とっておいてくれたお店や、大学のスタッフや、とりに
寄ってくれた友人や・・・みんなに感謝でいっぱい。
(で、また懲りずに忘れる?・・・いけないいけない・・)

想えば小学生のころから、母にあきれられてた(通知簿はオール5だったりするのに、なんであんたはそんなに忘れ物するんでしょうね・・と)
でも、父親も成績優秀だったというわりに、私と二人で出かけると、必ず二人して電車の網棚の上に置いた荷物や帽子を、忘れてきて、あわてて連絡して取りに行ったりがよくあって、母は「あなたたちふたりが出かけると必ずなんか忘れ物するんだから・・」とぼやいていたっけ・・
これはDNAだったりして・・・・
(私は小さいころから父親似と言われ、母親似と言われた姉は、忘れ物は少なかった気がします)

でも、さすがに、大学時代など、京都までの高い定期券6か月分をケースごとおとしてきて落ち込んでたら、拾い主から連絡があって受け取りに行って・・が一度ならずあったときには、忘れ物名人の先達?の父親も、「ようそんなもの落としてそんなふうに戻ってくるんやなあ・・あんたは・・それも何回も・・」と妙に感心(半分あきれ・・)されてしまったものでした。

一昨日、西宮病院で検査だった父とあとランチ、いつも会うたびに最近は「年取るっていうのは、こういうことやなと日々感じる」という父。
大丈夫お父さん、あなたよりずっと若い娘もこんなだから、86歳ではりっぱなものです。

今日も、色々、近くに行くからと気持ちよくとりに行ってくれた友人や、探してくれたお店の人に、感謝を思ってばかりでした。

でも、ほんとにもっと気をつけなくちゃ・・と思います。
(なんだか行った先々に足跡のこしてきてるみたいでもあります。戌年だから、犬が散歩したあとに、マーキングするみたいに・・??)

| - | 23:07 | comments(0) | - |
かものながれに・・
今日は5時起き、6時発で、京都造形芸術大学へ出講。
バス〜電車〜バスとのりついで、やっぱり2時間半かかりました。

本当に熱意をもって大作に取り組む、年配の学生さんたち(通信のスクーリングなのでこの数日は京都に宿をとっての関東やら遠くからの方々も)に、こちらも熱が入っての講評会。大学院生なので、公募展に出品されてたり個展もされてたりのかなりキャリアのある方々も多く・・
でも、「先生のすてきな作品、京都市美術館のGe展で拝見しました」とか、「以前何回か個展拝見しています」と、昼食休憩時にも隣に座って熱心に話して来られる方々もいて、ありがたいことでした。

一緒に講評した大先輩先生とちょっとビール飲んで帰りたくなるのをぐっとがまんして失礼し、帰途に。
かも川をわたるバスの窓から見えた、ものすごく暑かった京都の夕暮れの空の輝きが、とても綺麗でした。

昔からの京都の思い出深い風景に、友人の言葉を借りると、また違った色がついて重なって・・・・感慨深く眺めていました。

帰って、塾からちょうど帰ってきた息子と遅い夕食・・そして、PCからO大学の成績入力・・今完了・・

さすがに眠い・・
| - | 00:22 | comments(0) | - |
人間が一番美しい姿は、‘一生懸命’頑張る姿
一昨日家で制作している時間に、NHKで[ようこそ先輩」(いろいろなジャンルで活躍する有名人が、自分の母校の小学校へ行って授業をする番組)・・野村克也元監督のをたまたま見ることができました。

貧しかった日本海側のふるさとでの思い出は、いい思い出はない・・と気が進まないふうに言っていた野村監督が、だんだん子供らの元気な反応(昔とは違う)にのめりこみ、野球の極意を教えながら、最後は感動の別れ・・思わず胸が熱くなってしまいながら、制作しながら横目に見ていたのですが、その子供らとの別れの場で、語られた言葉の一つが、冒頭にあげた
「人間が一番美しい姿は、‘一生懸命’頑張る姿や・・。‘一生懸命’になるのが大事なんや。」「だから・・・がんばれ」

一生懸命・・・私も大好きな言葉で、どんなことをモットーにされてますか?とか、座右の銘はなんですか?と言われると、「一生懸命」と「誠実」をよくあげていました。
色々な困難に、絵がなかなか描けない日々が続きだしてからは「継続は力なり」・・

亡き姉が、神戸大学附属住吉中学校に入った時、担任の先生の大好きな言葉が「一生懸命」だと、私に話していました。
もし私も神戸の本庄小学校を卒業したとき父の転勤がなければ、亡き母は同じ学校に入れたいと思っていたようで、姉の学校の参観か何かで、小学5年生の私は母に連れられて、御影駅からバスで北に上がっていったその学校に行った記憶があるのです。
教室の前の黒板の上には、「一生懸命」の大きな字が掲げられていました。

中1・中2の2年間、、神戸東灘・深江の一番端っこの浜辺から、最寄りの阪神芦屋駅へ歩き、御影駅まで乗ってそこからバスで・・通学は結構大変だったろうけど、いい先生といい友人たちと・・たぶん姉の一番幸せだった時間。

中3で遠く滋賀県彦根に転校してから、姉はだんだん学校がつらそうになって行きました。
私はまだ小学生気分で、神戸にいて附属住吉中学に落ちても友達と一緒に公立の本庄中学へ行けるし、転勤が決まっても、友達との別れより新しい場所での生活への好奇心もまたふくらむような、気楽さでしたが、あとからやはり、神戸での小学校時代が、家族みんな、本当に幸せな時だった・・と痛感するようになるのでした。

野村監督、やっぱりいいこと言うなあ・・と思いながら、その言葉に、ふと姉とのそんな記憶がよみがえったことでした。

そして、今の自分は‘一生懸命’頑張れているのかな・・・と。
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関わっている展覧会
私の展覧会の年間案内は、ホームページ「画家井上よう子の部屋へようこそ」の、exhibitionページを見ていただくといいのですが、このブログだけを見ていただいてる方もあるし、なるべくこちらでもその都度告知していってるつもりなんですが、声かけてもらってちょっと関わる展覧会もちょこちょこあって、ホームページの方にもこちらにも、抜け落ちていたりして、はっとします。

神戸北野のギャラリー島田で開催中のミニアチュール展に小品2点を出させていただいていることは、書きました。
ありがたいことに、「The Gate for Freedom」は初日に、もう1点の「be free」も、水曜日に以前も勝って頂いたことがあるご夫妻に買い上げて頂いて、急遽「作品持って来れませんか?」コールを島田さんから頂いて、木曜夕方、新たに2点、「The way to Freedom」SMサイズと、「雨音を聴きながら・・・」3号サイズのものとを、持って行って展示してきました。
ギャラリー島田も色々忙しく大変で、その日一人でいたウグイスさんの風邪声を心配しつつ、ギャラリーを後にしたのでしたが・・

もうひとつ、ミニアチュール展と同じ日にオープニング・・で行けなかった、大阪・あーとすぺーす夢玄、3周年記念企画、色んなアーティストのあんどん展に、私も依頼されて、作品画像をデータで送ったものをむこうがプリントして行燈としてセッティングしてくれて、今、飾ってもらっています。
8月7日までです。
もし、大阪、天満のあたりへ行かれることあれば、のぞいてみてください。
色んなアーティストの作品の行燈たちが、一律2000円で販売されています。私自身まだ見に行けてないのですが、うす暗くなったころの、沢山の行燈が光るギャラリーの写真をメールで送ってくれて、中々素敵でした。
大手前大学の教え子のFさんが、企画運営していて、お願いメールがきたのでした。

あーとすぺーす夢玄

〒540-0035 大阪市中央区釣鐘町 1−6−2
tel 06-4790-2626

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