YOKO'S SCENE

画家・井上よう子のNEWS。
人間が一番美しい姿は、‘一生懸命’頑張る姿
一昨日家で制作している時間に、NHKで[ようこそ先輩」(いろいろなジャンルで活躍する有名人が、自分の母校の小学校へ行って授業をする番組)・・野村克也元監督のをたまたま見ることができました。

貧しかった日本海側のふるさとでの思い出は、いい思い出はない・・と気が進まないふうに言っていた野村監督が、だんだん子供らの元気な反応(昔とは違う)にのめりこみ、野球の極意を教えながら、最後は感動の別れ・・思わず胸が熱くなってしまいながら、制作しながら横目に見ていたのですが、その子供らとの別れの場で、語られた言葉の一つが、冒頭にあげた
「人間が一番美しい姿は、‘一生懸命’頑張る姿や・・。‘一生懸命’になるのが大事なんや。」「だから・・・がんばれ」

一生懸命・・・私も大好きな言葉で、どんなことをモットーにされてますか?とか、座右の銘はなんですか?と言われると、「一生懸命」と「誠実」をよくあげていました。
色々な困難に、絵がなかなか描けない日々が続きだしてからは「継続は力なり」・・

亡き姉が、神戸大学附属住吉中学校に入った時、担任の先生の大好きな言葉が「一生懸命」だと、私に話していました。
もし私も神戸の本庄小学校を卒業したとき父の転勤がなければ、亡き母は同じ学校に入れたいと思っていたようで、姉の学校の参観か何かで、小学5年生の私は母に連れられて、御影駅からバスで北に上がっていったその学校に行った記憶があるのです。
教室の前の黒板の上には、「一生懸命」の大きな字が掲げられていました。

中1・中2の2年間、、神戸東灘・深江の一番端っこの浜辺から、最寄りの阪神芦屋駅へ歩き、御影駅まで乗ってそこからバスで・・通学は結構大変だったろうけど、いい先生といい友人たちと・・たぶん姉の一番幸せだった時間。

中3で遠く滋賀県彦根に転校してから、姉はだんだん学校がつらそうになって行きました。
私はまだ小学生気分で、神戸にいて附属住吉中学に落ちても友達と一緒に公立の本庄中学へ行けるし、転勤が決まっても、友達との別れより新しい場所での生活への好奇心もまたふくらむような、気楽さでしたが、あとからやはり、神戸での小学校時代が、家族みんな、本当に幸せな時だった・・と痛感するようになるのでした。

野村監督、やっぱりいいこと言うなあ・・と思いながら、その言葉に、ふと姉とのそんな記憶がよみがえったことでした。

そして、今の自分は‘一生懸命’頑張れているのかな・・・と。
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