YOKO'S SCENE

画家・井上よう子のNEWS。
お正月も東に西に…凍える琵琶湖
昨日は家族でお正月祝いをしたあと、午後から年始の挨拶に恒例の井上本家(大津京)へ。
雪が舞い散る灰色の琵琶湖が遥かに見渡せるマンションの高層階。
3月に引っ越しが決まったからここからの風景もしっかり見ておいてねと言う81歳の義母は、皆自分より大きくなった7人の孫達に囲まれて楽しそうでした。
「こうやって、みんなで楽しく集まれるように、まだまだ元気でいたいんやけどね・・」とぽつり・・
女手ひとつで3人の子を育てた強い母も、当然のことながら年齢相応に体力も落ち、昨年は体調も崩したりで、一緒に暮らす義姉(私にとっては高校時代からの親友でY3仲間・モーネ工房でおなじみの由季子さん)が色々と気遣ってフォローしてくれつつ時々気弱な発言が・・
「まだまだおばあちゃんには元気でいてくれないとね!おばあちゃんの作ってくれるものはほんとに美味しいもんね」とみんなで。

(画像の風景はベランダから琵琶湖の北東望む)

今日は朝のお雑煮のあと、明石へ。85歳の父親と昼食。急に何が起こるかわからない病気をいくつも抱えていても、今こうして元気でいてくれる事に神様に感謝…。
一人娘の私が時々体調を崩すと誰よりも心配してくれて、「忙しすぎるんじゃないのか・・あんたに倒れられたら困るからな・・」、ああ気をつけなくちゃ・・と父の言葉に思う私なのでした。

そして、隣に住む80歳のおば(一昨年におじを亡くし子供もいなくて一人暮らしでやはり心配・・)宅にも寄って、しばし話しして帰ってきました。

父は・・・陸軍士官学校から若き士官として戦争へ行き、戦禍極まるビルマで戦い、九死に一生を得てさらに終戦後2年間の捕虜収容所生活。過酷な重労働を熟して帰国した元軍人。
「軍人」というのは、戦争前は確固たる地位があり、戦後はそれが職業自体なくなってしまったのですから、それは天地がひっくり返ったようなもの、大変だった・・と以前聞かされたことがあります。やはり軍人だった祖父(太ももに銃弾の貫通痕がありました、孫にとってはとても優しい祖父でしたが・・)とともに、にわか百姓をして、何とか勉強しなおして、同年齢の人が卒業する年に神戸大学経済学部へ入ったのだそうです。そして、卒業後、カネボウに就職、31歳で母と結婚し、34歳のときに私が生まれたそう。
戦争は実際に体験した者にしかわからない、言葉では言い表せない壮絶なものだから、戦争の話しはしない。と言う父親に、でもそういう体験をした人からじかに話しを聞く事はもうどんどんなくなって、本当に貴重だから、また子供達に機会あれば話せること話してやって…と私。今日も、子供らを前にちょっと話してくれました。
20歳で戦争へ行き10回以上本当に死ぬかと思った事、1年戦い終戦になって収容所で2年重労働して、やっと神戸港に帰ってきた時、あまりの変わりように愕然としたこと、「阪神大震災で神戸の街は大変な状態になったやろ、あんな感じやったんやで…」だから、今、子供達にとっては何でもあるのが当たり前だろうけど、本当に何もかもなかったから、今は本当によくなったと思える。本当に大変なつらい思いをしたけど、今から思えばそれは後々の人生に役立った、苦労はわざわざしなくていいが、若いうちに苦労したり挫折したりすることは、後で必ず自分の役に立つから…と。

受験迫る次女や厳しい就職活動に直面している長女の心に、そのメッセージは届いたでしょうか…
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