2011.07.09 Saturday
雨の七夕…想いは東に西に…
水曜はS大学雄琴キャンパスへ行く前に、京都国立近代美術館で日曜までの「青木繁」展へ駆け足で寄りました。
かつて芸大を受ける事に決めた時、両親も祖父母も自分たち絵が上手くもないし、どうしてよう子がこういう道にと不思議がってたけれど、 祖父が「やっぱりよう子には画家の血か流れてた」と、嬉しそうに手紙と画集を送ってきたのが青木繁。 本人と血縁なのではなく、祖父の実家、九州・久留米の明善高校での彼の先輩、早川けい太郎(漢字が出ません)が、久留米で最初に油絵を始めた人とも言われる、でも35歳で夭折した画家で、曾祖父の兄だったのです。つまり私はその血を引いていると…。 そして曾祖父の弟とも同級生だった青木繁は早川家によく遊びに来ていて、貧しくてモデル雇うお金もなくて、同級生の妹のいとよをモデルに「秋声」の大作を描きパリ万博へ出す野心で応募するも落選したのでした… 「三上のおばさんがモデルなんだ」 祖父から何度となく聞いていた絵、画集ではそのたび見ていたけれど、今回初めて現物を見る事ができました。 亡き祖父にも似る顔立ち、近寄って何度もみながら、まだ存命の祖父の末妹のおばさんが、「度々ご飯食べにや転がりこんでくる汚い格好の青木繁に、母は近寄ったらだめよと言ってね」笑って話してくれていたのを思い出してました。 私は…でも…、ほとんど戦災で焼け作品が僅かしか残らない早川けい太郎の事、 私も血を引く近代洋画壇先駆けの画家の事、時間のゆとりができれば調べてみたい(私がしないととの使命感もあり)思っているのでした。 一昨日七夕は、酷い雨でしたが家の雑用こなし京都へ、ギャラリーモーネンスコンビスに、東京から来て下さった9月に個展させて頂く銀座・ギャラリー枝香庵オーナーAさん迎え、他にも会えると思わなかった先生方やら来て下さったりで歓談し、4時過ぎにはギャラリー飛びだしてAさんと神戸北野ガーデンへ。 アーツエイド東北の立ち上げへの志縁(支援の意味も)の会へ。 東北から来られた代表の現場の生々しい報告にしんと耳傾けながら、また沢山の方がつながり、私も微力ながら色々な方を紹介すべき方には繋ぎ、約170名の方が、東北への、アートにできる事へ、志ひとつに温かな流れが… 終わってからギャラリー島田での関係者ミーティングも、思わず感極まり涙声になる方もあり、私も一アーティストとして何か自分にできる事したいと伝え、まだまだ長く長く大変な東北の方々へ想い新たにした事でした。 東北にも行き全力尽くして来られた島田さんはクタクタになられてて心配でしたが、「大きな一山越えた…」と。 本当に本当にお疲れ様でした!
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