2016.11.07 Monday
須賀敦子さんの言葉への思い
神戸新聞4日夕刊の「随想」、私が担当する4回目は、母の従姉にあたる須賀敦子さんの言葉への思いを書きました。
『芦屋文学サロン「須賀敦子と芦屋・西宮」へ招いていただきました。満員のルナホール。イタリア文学者でエッセイスト須賀敦子さんのファンが、敦子さんの没後も、さらに思いを募らせている熱気を感じました。 子供のころ、母から、イタリアにいる従妹の話を聞かされたおぼろげな記憶。祖母の口から夙川の実家で共に暮らした姪の話。頻繁に聞くようになったのはエッセー集「ミラノ 霧の風景」が大きな賞を取ってから。すぐ読んで、その文体の美しさに強く惹かれました。 二十数年前、初めての出産と同時に母をがんで亡くし、乳児と病床に伏した父と仕事を抱える日々を過ごしていた私のことを、「よう子は色々抱えて、夜中寝る時間削って少しずつしか描くことできなくて、画家としてやってけるのかしら」と祖母が電話で敦子さんに話したら、「大丈夫よ、ずっと続けてたら本当にうまい人だけが残っていくから」と言ってたわよ、と聞かされた時は、とても大きな力を貰った思いでした。 新聞や雑誌に敦子さんの写真入り記事が載ると祖母が自慢げにコピーを送ってくれ、顔立ちが少し祖母に似てると思ったりしながら生前お会いすることは叶わず。亡くなられてから読んだ「地図のない道」「霧のむこうに住みたい」。もうお会いすることはできないけれど言葉は生き続ける。その文章はまさに霧の中から立ち上る空気の湿り気さえ感じられるようでありながら、過剰になり過ぎず、静かな行間の余韻に、託された想いが伝わり…そしてそこには逝ってしまった人たちへの深い想い。そんな風な絵が描けたら…と今思うのです。」
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