YOKO'S SCENE

画家・井上よう子のNEWS。
悩みの種・忙しい日の夕食- 土曜はお好み焼き

朝ゆっくり出られる日は下準備や1〜2品作っておいて出る事もできるのですが、朝早くから飛び出して夕方までフル回転した日は、帰ってすぐにの夕食が悩みの種。
昨日も帰ってまず冷蔵庫の野菜室と冷凍室とを開けて頭を巡らせ…
とにかく子供たちが、野菜(ビタミン)たっぷりに蛋白質と炭水化物とバランスよく取れるように…
で、水曜に届いていた無農薬の大きなキャベツと人参を大急ぎでたっぷり刻んで冷凍してあった豚バラ肉をレンジ解凍して久しぶりのお好み焼きにする事に。
人参も入れると緑黄色野菜も取れるし、お好み焼きはほんとにたっぷり野菜も取れて、卵と肉で(いかやタコがあればその方が息子は好き)蛋白質、粉と山芋で炭水化物とバランス抜群、大根と葱のお味噌汁も並行して作って…(千切り大根のお味噌汁、意外と子供ら大好きなのです)
「やっぱ私ら関西人は粉もん大好きやわー。またタコ焼きもしよね」と次女。
やれやれ…(昨日も入試だった次女も和んでくれてよかった、お助けメニューとなりました)

今日はまた雨ながら、息子のサッカー公式リーグ戦。
午前も午後もハードな試合でしたが、2−1で勝った午前の試合より、ぎりぎり1対1で大雨になる中せめぎあいを繰り返し最後に負けた強豪相手の午後の試合の方が、思わず寒い中もベンチや後ろに立つ親達も熱くなるいい試合でした。
それはいいのでしたが、とにかく雨で冷え切った選手達を分乗で乗せて帰ってから、大急ぎでお風呂沸かして入らせたり泥だらけのユニフォームやらの泥を落としてから洗ったり、大忙し。
で、今夜は簡単な細麺パスタと、ガーリックと粒胡椒を少し効かせたマヨネーズで和えたツナサラダで手早く。
パスタのソースは無印良品で買ってたもの。娘と私はウニクリーム、息子はボンゴレ。時間がない日は手抜きできるこんなソースも助かるし(ニンニクやバターをちょっと加えたりして)、空腹には美味しそうに食べて貰えるけど、やっぱり本物(友人イラストレーター尾中君が火曜日だけしてるパスタ屋さんの絶品パスタや義兄のパスタ)も時には食べたくなります。

明日も朝一番から授業。
やっぱり疲れ気味…だけど、大学今期最後の授業週間を頑張ります。
制作も仕上げにかからないと…
京都での展覧会のDM届いたのでまた載せますね。
| - | 22:54 | comments(5) | - |
NHKから中島由夫展ギャラリートークへ…

昨日は朝からNHK文化センター神戸教室の講座。風景画終わって人物画の日(今期初めて人物画を2回入れてみました)。モデルさんは、いつもモデルクラブからの派遣でどんな方が来られるかは当日になってからわかるのでしたが、昨日のモデルさんは少し前に大手前大学での絵画授業に来て下さってたばかりの方との再会で、「あ、またよろしくお願いします」
お互い和やかにスタート。いつも思う事ながら20分じっと同じポーズでいるのはプロのモデルさんならでは。(モデルさんは20分ポーズ、10分休憩、が基本。それを2時間の講座では4回、3時間授業なら6回繰り返します)
学生同士で順にモデルさせるクロッキーでは、モデルになった学生は、2分や3分でも苦痛を訴えたり5分だと途中でポーズが変わってきたり手足が奮えたりもあるのですから。

NHKは半年毎に1クールなので、秋からの新しいメンバーもいるけれど、ずっと継続して申し込みしては来られてる方は、モデルさんのポーズも椅子の座りポーズが続いたので(モデルは違いますが)、今回はちょっと考えてマットを持って行って、直接床に横座りの女性らしさを出した流れるポーズ、やや見下ろしたアングルで描いていただく事に。(モデルは着衣ですが、写真撮影は禁止なので画像はなしです。悪しからず)

それからまた明石市立文化博物館での、中島由夫展会場へ。中島先生と島田誠さんのギャラリートーク。
何回もお会いし作品も拝見していても、18歳の頃から現在に至る作品について、ご本人の口から語られるのを聞くのは初めて。
25年のお付き合いの島田さんがお人柄をうまく把握しながらお話し引き出したり、子供のように弾丸トークが止まらなくなりかけると前へ進めたりされながらも、島田さんも知らない事も色々出てきたりして、皆さんを笑いに引き込んだり感嘆させたりしながら、あっという間に予定の1時間も過ぎ、約1時間半で終了。ゴッホに惹かれ真似した若き日々、アンフォルメルのファートリエ、長谷川利行を真似た自画像、公募展には受け入れられずアンデパンダン展に出会い、パフォーマンスへ向かうダダイズムの画家との出会い、他沢山の出会い、模倣から新しい展開へ…
興味深い沢山のお話しでした。

「絵は生きている」
「絵は子供と同じ、褒めたらよくなる。自分の絵をいっぱい褒めなきゃ」
「 絵かきは死ぬまで書き続けなきゃいけない」

心に残った言葉です。
| - | 20:35 | comments(0) | - |
朝のアトリエ教室

学生達が来る前のO大学美芸院、絵画の教室。
この朝のアトリエの雰囲気、結構好きです。

今日の合評は…と色々思い巡らせながら…
| - | 09:04 | comments(0) | - |
いまだ試行錯誤の連続・・・制作でも、生き方でも・・
芸大時代に、初個展をしてから約30年。
一応プロとして、画廊企画で個展をして頂くようになってから19年・・

もう二度と私は絵を描くことはできないかもしれないと思った日々から、やっと1枚小さな絵が描けたときは、もうそれだけでなんて幸せって思えた・・そしてそれで展覧会をして頂けたときには、もういつ死んでもいいって(大げさにではなく)思ったのでしたが、
「井上さん、まだまだ大変な日々だろうけど・・、絵を買ってくれた人たちへの責任を感じて、けしてこの先、筆を折るようなことはしたらだめですよ」
当時、海文堂ギャラリー社長だった島田さんから、プロとしての画業への責任とともに、励ましの込められた言葉が、深く胸に響きました。

入院を繰り返す父と乳児を抱え、寝ずにでないと絵を描けない日々、何とか非常勤で教えに行きつつもその収入は生活費に消え・・、大きな絵を買って頂いたことで、これは画材費に使える・・とほっとしたものの、いつまで体もお金も持つやら・・と思っていました。
でも、絵を買うというのは本当に高い買い物。そうやって買って下さった方々に対し、その作者が頑張り続けていてこそ絵に価値があって、絵描きをやめてしまったのでは、申し訳ないことになる・・・
「責任」を感じることで、うつむきがちな気持ちが、まっすぐ前を向けたように思います。

あれから、もう何回個展やグループ展を、させていただいたでしょう・・
まだこうして絵を描ける喜びと、絵に向かいあうたびに、漠然と自分が描き出したいイメージを、

そこここに残る、大切な人の存在や気配の、はかなさや切なさや温かさであったり・・

北欧デンマークで感じた光・風の輝きと人を暮らしを大切にする思いであったり・・

そして人と人との出会いの温かさと・・そして切なさ・・であったり・・

いまだ、試行錯誤の連続。
この絵にはフタロシアニンブルーより、ウルトラマリンブルー、でもちょっとセルリアンブルーも・・とか、下地も何回も塗り重ねながら、前のメディウムの組み合わせを少しづつ変えてみて・・あるいは新しい素材も使ってみたり・・
構図も描きながら、変わっていったり・・
「これで完璧!」って思えることはきっと死ぬまでなくて、
でも、迷いながらも、自分の進むべき方向へ進んでると信じたい・・

制作も、生き方も・・

今日も忙しい雑事に車で走りまわったり病院にもいったりの合間に、そんなことを考えながら少しずつながら制作していました。
| - | 18:51 | comments(0) | - |
am6:45…今日もまた違う色…

わずか15分でこんなに変化…
忙しい朝なのに、自然の色を見つめているとつい時間を忘れそうになります。

色々な心配事も溶かしてくれるといいのだけど…
| - | 07:14 | comments(0) | - |
1.27 am6:30…うつりゆく…

日は長くなってるはずなのに6時にはまだ真っ暗…
でもこの時刻に一気にうつりゆく空の色…

2時頃まで絵に向かっていた目はまだぼんやり…
| - | 07:09 | comments(0) | - |
受験生へは好物でエール

日曜のサッカー試合の合間、一旦帰宅して、まだまだ受験勉強の続く娘には、喜びそうなブランチでエール。

小さい頃よく作ってあげたパンプディング…ちょっと固くなりかけた食パンやブドウパンでもいいので適当に刻んで、甘味とバニラエッセンスを加えたたっぷりの卵牛乳液に浸してオープンレンジへ。(カステラでも美味しい)
生のフルーツたっぷりヨーグルトでビタミンも補給。

とびきりの嬉しい笑顔にまた元気を貰ってグランドにとんぼ返り…。
| - | 21:12 | comments(0) | - |
エールを送り…元気を貰う

日曜は、色々抱えた心とは裏腹に雲一つない快晴…、空気は冷たかったけれど風もそうなくサッカー日和…また朝早くから起きて先に息子を送り出し、友人母さんの車で(私と交替で車を出し合っています)母達もサッカーリーグ戦 に、武庫川団地にある会場校まで行き、午前と午後各1試合を応援しました。

忙しい日々の中でほぼ半日がつぶれるのは痛いのだけれど、ただがむしゃらに、一生懸命ボールを追う姿にエールを送っていると、惜しいシュートが外れたり際どいシュートが決まったり…皆で知らず知らず色々な事忘れて…夢中になって応援していて…、元気を貰うのでした。

絵も、人の心を癒すつもりで描いたもので、その描く過程で自分が癒されてる…
学生に教える事でこちらが沢山教えられる…

情けは人のためならず…(自分に帰ってくる)

すべてそういう事なんだろうなって思います。
| - | 20:53 | comments(0) | - |
1.25 7:00の空は…

今日はどんな日になるんだろう…

空の輝きを見つめながら大学へ…

帰りには中学へ…

今日もかけがえのない一日…
| - | 08:01 | comments(0) | - |
成安造形大学・卒業制作展
am7:00、息子をサッカーに送り出してから、8:30には次女と共に高校へ走り、センター試験結果を踏まえての最後の三者面談。
そして一旦帰ってから京都へ、そしてまた神戸へ…。色々な思いを抱え胸が痛く、冷たい風が一段と身にしみながら、体は行ったり来たりの一日でした。

毎週火曜に教えに行く成安造形大学の卒業制作展が、今週水曜から明日日曜まで、京都市美術館で開催中で、行ってきました。
本館の2階と別館(京都会館横)で、画像は別館2階のグラフィックデザインのコーナー。
中々見応えありました。
私はイラストの1年次基礎造形実習を担当しているので、本館2階で洋画・日本画を経て一番人数も多いイラストの部屋3室をしっかり拝見。
1年の時から描写力に秀でていた学生や、ポップな表現が得意だった学生、それぞれに個性がうまく増幅していたり、意外な作風に変身を遂げて優秀賞を取った学生(とても努力家で、私の個展にも来て、技法やメディウムやマチエールの作り方について、いっぱい質問して帰りました)もいて…
成長が嬉しかったし、私も初心に戻って頑張らないといけないなといい刺激を貰いました。
明日までです。
もし、京都へ行く機会がある方は、イラストや日本画・洋画・彫刻、映像や写真、グラフィックデザイン・住環境デザイン・プロダクトデザインやテキスタイルやファッション、構想表現などなどもありますし、質の高い作品も多い、かつ無料、なので是非ご高覧下さい。

美術館を出て次を急ぐ私の背後から「よう子先生〜!」何と去年卒業した二人が私の姿を見つけておっかけて来てくれていて嬉しい再会。
私との写真を撮ったりよくこの一瞬で会えたね〜とか盛り上がってから、「Oさん綺麗になったね、ひょっとして彼氏できた?結婚するとか?」「え〜先生凄い、何でわかるん」
綺麗になった彼女の幸せそうな輝く笑顔がまぶしく・・こちらにもちょっぴり元気をくれました。

それから3つ画廊を巡り神戸へ。
ギャラリー島田地下で中島由夫展オープニング、何と30歳下の奥様との結婚発表のサプライズ。(中島由夫先生は数年前に年上の奥様を亡くされていて)
一日に100回以上「愛してる」と言われる先生に影響されてと「私も愛しています」と皆の前でもさらっと言われるのが素敵でした。
1階では先日「情熱大陸」放映で反響が凄い石井一男さんの展覧会が引き続き開催中で、遠方からも来客が来られたり、画集や絵や発送に追われるスタッフがフル回転でも対応しきれない状態。島田さんもお疲れの様子で心配しつつ、1階と地階を行ったり来たり手伝いました。

8時頃片付いて、石井さんと駅まで帰り道ご一緒しながら、この大反響は喜ばしい事ながら、静かな石井さんの生活が乱されない事を祈りました。
| - | 23:22 | comments(0) | - |
あけゆく空の色も切ない朝

朝食を作りながら刻々と色を変える朝焼けの空と海を眺めます。
その日その日、天気や温度や風で全然見え方が違う…
今日は自分自身の気持ちを映すかのように、朝焼けの色もなんだか切ない…
| - | 07:08 | comments(2) | - |
ただ今制作中の絵

やっぱりまたブルー…
同じように見えるかも知れませんが、少しずつ微妙に違うブルーは、何枚描いても描いても…

自分が求めるブルーを出すために、今回ももう何回塗り重ねてるだろう…
| - | 01:29 | comments(0) | - |
大切なものは・・
昨日のブログと相反するようですが、好きな言葉のひとつ
「大切なものは 目には見えない」・・・・サン・テグジュベリ

・・・とても深い・・

そして、小津安二郎監督の、
「なんでもないことは、流行に従う・・
  重大なことは、道徳に従う・・
     芸術のことは、自分に従う・・
       ・・どうにも嫌いなものはどうにもならないんだ」

・・・まさに・・・

今日は、ふとそんな言葉を思い出しながら・・制作していました。

ゆうべも次女や息子の夕食が終わってから少し仕事し、それからまた帰りの遅い長女や旦那の入浴・夕食が順に終って、洗濯や雑用おわったのはみなの寝息やいびきの響く2時すぎ。
早朝練習に行く息子の早い朝食に朝はまた6時起きだし、体調もよくないし早くねなきゃと思いつつも、そのしんとした真夜中のひとりきりの時間が結構好きなわたしは、(やっと一日の大学の仕事や家の雑事や、次々息子・娘の話聞いてやるのも終わり、電話や宅急便も来ることない静寂のひととき・・)ついそれからしばし絵を見つめて・・冒頭のことばやら・・物思いにふけってしまったり・・

これでよけいに寝不足になるんだと思いつつも・・私が自分自身を取り戻せる、自分の絵とも静かに向き合える、貴重なひととき・・・


今朝は、順にみなを送り出してから、とりあえずまたお医者さんにも行って、銀行や郵便局の所用もこなして帰宅後、高校最後の定期試験で早く帰宅の次女や、今日は家で作業するとゆっくり寝ていた長女と昼食をともにして午後制作。
2月26日〜28日・京都ギャラリーaでの「Breeze〜2010の風」
展に出品依頼頂いてる3点の絵に順に筆を入れながら、息子が帰る5時過ぎまで(今の時期は絶対下校時刻が早くて、クラブ活動も5時までには終わって校門出ないといけないのです)4時間弱などあっという間。
本当にぶつ切りの制作時間なのが、苦しいところですが、夕食準備中も、朝起きた時も、時々遠目に絵を眺めては、次にどういう色を重ねようかとか、空と海の対比はあれでいいだろうかとか、あそこはぼかして空気感をだそうとか・・・

「会えない時間が、愛育てるのさ・・」
なんていう歌があったけれど、描けない時間が絵への想いを募らせるっていうのはたしかにあるのでした。
でも・・間があきすぎるとよくない・・
ほんの少しの時間でも、少しづつでも描き続けることの大切さ・・
なにごとも、継続は力なりです。

明日はまた朝一番から、表現技法と形態表現の授業・・「コラグラフ」制作仕上げさせねばなりません。みんな楽しそうにやってくれていて、ともにインクまみれに・・・
| - | 22:27 | - | - |
渚にて

これも三尾公三先生の作品「渚にて(D)」180×240cm 1975

三尾先生は、31歳の時に結核を患って、丹後由良海岸へ転地療養。何と1年余り、毎日海を眺め、貝殻を拾って過ごされたそう。
当時の結核は死の病…愛する妻子を京都に残し先の見えない毎日をどんな思いで過ごされたんだろう…

そんな、毎日毎日、海を眺める中で、波が打ち寄せる砂浜にふと女の顔が浮かび…とこのシリーズを後年何枚も描かれたきっかけを話されていました。

女の顔とは…今思えば……京都芸大すぐそばの画材店で、病弱で出戻って来られてた10歳も年上の奥様と、まだ学生だった先生が恋に落ちて、結ばれて……でもすぐに戦争に行く事になり今生の別れと悲壮なお二人の写真を撮り、やっとやっと戻って中学美術の教師をしながら一人息子も生まれささやかな幸せな暮らしをされてた中での発病、また再びの別離……砂浜に浮かんだのは愛する奥様S子さんの顔だったのではないかと…
先生は語られなかったけど…
自分の限りある命を思う時、人は自分の一番大切な物が、本当に大切に思う存在が、見えるのでしょうか…
天命を知る歳になっても、まだまだ自分の生きかたはこれでいいのかと迷ってばかりの私…

今日は大学で、自分の絵の描き方に悩む中国からの留学生と、私の大学時代の悩みとかぶる部分もあって、真剣に話し…
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情報確認の大切さ痛感- 三尾公三先生の展覧会について

先日、今年の11月に三重県立美術館で開催される事になったと書いた、三尾公三先生の回顧展は、岐阜県美術館の間違いでした。
(先日のblogも今日訂正しました)間違った情報お知らせしてすみません。
相談受けたのが、学芸員さんから相談された著名な方からだったので、直接学芸員さんに詳細確認すればすぐ間違いに気づいたのに、それをせずに動いてしまった…責任ある立場にある学芸員さんや館長さん、新聞社の専門編集委員の方などなど、間違った情報で相談をしてしまった方々に本当に申し訳なく、今日は制作頑張る予定が、半日以上その謝罪訂正の電話や手紙やメールに追われ、自己嫌悪でした。

色々な方にまでご相談する時には特に、いくら相手がずっと年上の著名な先生でも、しっかり情報の確認をしなくちゃいけないな…
(今日はその先生と手紙やり取りだったのを初めて電話でお話しした中で間違いがわかり、愕然だったのでした)
教訓となりました。

画像は、三尾先生の作品の中で私の好きな作品の一つ、「北の旅」
1981年 162×162cm (1990三尾公三展-幻想空間の女 カタログより)
| - | 21:23 | comments(0) | - |
1.17…でも語りついで欲しい
昨日は、震災に関係するシンポジウムやコンサート3ヶ所を巡りました。

当時私は、大阪府摂津市在住でしたから、神戸・芦屋・西宮で自宅が全壊または半壊されたり、身内や知人が亡くなった方々の前では何も語れない……でも、初めて地震というものに心から恐怖を感じ、4歳と7歳だった娘らが「お母さん!」て泣きながら布団からはい出てきかけるのを、本棚からいっぱい物が落ちてきたり天井の蛍光灯ペンダントが今にもひきちぎられ落ちて砕け散りそうに揺れる下で「布団かぶって!出ちゃだめ!」と叫んでいたあの日は忘れる事はありません。
こんな惨禍の中、生きるか死ぬかの暮らしの中では、絵描きの無力さも痛感しました…
でもすぐにチャリティー展を企画し連絡下さった海文堂ギャラリー島田さん(現・ギャラリー島田社長)の電話に、島田さんや海文堂書店・ギャラリーの無事を喜ぶと共に、自分の絵が役に立てる!…と救われた思いで、子供を小学校と保育所へ送ってすぐ交通機関の分断された神戸の街を、カートに絵を何枚かくくりつけて、時にひびわれた道にカートがはまり込みしながら、沢山のブルーシートの公園で暮らす方々に胸が苦しくなりながら、歩いて歩いて運んで行きました。

昨日、芦屋美術博物館であったシンポジウム。
「震災から15年」の展覧会関連イベントとして、
芦屋在住の大森一樹監督、写真家で元芦屋市写真記録部長・高嶋敏展氏ほか5人のパネラーを関西学院大学教授で美術館運営NPO・AMM(私も時々お手伝いの)理事長角野幸博先生がコーディネーター役されての座談会。沢山の方々が1階ホールを埋めました。
いつもクールなイメージだった大森一樹監督が、「映画やドラマで泣くやつを馬鹿にしていた自分が、一昨日NHKに出演した時は、震災被災者のドキュメンタリーに涙が出てコメンテーターとして困った。昨日は神戸新聞記者のドラマに泣いてしまった。今日はこの会場の沢山の写真にまた涙している。これは一種の…自分とは無縁と思っていた…PTSDなのかも知れない」と語られたのが印象的でした。
その後、松方ホールでの恒例、竹下景子さんの詩の朗読と音楽のゆうべ。
昨年は、舞台に私の絵を飾って頂く光栄頂いて、裏方として動いたり、ボヤ騒ぎで消防車がサイレン鳴らして次々来る中、一時お客を皆避難させたり、また会場にお客さん戻ってもらってから左手のピアニスト智内威雄さんがすぐに場を繋ぎ予定外の演奏までされたり、そして最後にステージに私も出て竹下景子さんに絵をプレゼントし、後から楽屋に来られた神戸の大手菓子メーカー社長のNさん(竹下景子さんとも懇意にされていて、私はギャラリー島田の展に来て頂いていた)が「井上さんの絵もよかったよ」と言って下さった……そのNさんはガンで昨年夏亡くなってしまわれた…
沢山の思い出が残った昨年のコンサートを思い出しながら、今、話題の(ゆうべ情熱大陸で放映された)画家、もう18年前から知り合いの石井一男さんと、並んで座り時々おしゃべりしながら、時に目頭が熱くなりながら、聞いた事でした。

その後、またLOVE&PEACE・LIVE(上屋劇場)にも寄らせて頂いて…
中村よおさんの生演奏も初めて聴かせて頂けたし、榎忠さんの大砲も(私が松方ホールに居る間に終わっていたのを残念がる私に、最後にまたもう一度大砲打って下さって感謝でいっぱいに)…
とても濃い一日を過ごし、色々な沢山の思いを巡らせながら、今朝はまた朝一から大学で授業…
| - | 21:41 | comments(0) | - |
届いた荷物に心が温かになる

先日熱を出していた日のblogを見て、昨日親友で兄嫁でモーネ工房の由季子サンからの荷物が届き、忙しい彼女の日常を知るだけに恐縮…柚子と蜂蜜のジャム状でお湯か水で割って飲む柚子茶とカステラ、身体に優しいそれらとともに入っていたカードの言葉に、じんと来てしまいました。

熱、早く下がりますように!…から始まって最後に…「天国のお母さんとの約束、守らないとネ、私。」と。
目頭が熱くなりました。

22年前、出産後まだ1ヶ月にもならない長女を抱いて、母のお通夜にいた私に、前夜確かに母が亡くなった頃に彼女の夢に母が出てきて「おばさんに洋子をよろしくって頼まれた…」
それを聞いて、それまでは父親を助けて私がしっかりしなきゃと弔問客にも対応していた私が初めて嗚咽して泣いてしまった…
高校時代からずっと親友で、お互いの家も行き来していた彼女が、前々年に私が嫁いだ先の兄嫁でいてくれる事を、誰より喜んでいた母だったから、逝ってしまう時に由季子サンに頼むと言いに行ったのが、凄い実感をともなって感じられたのでした。

そして、それを忘れずにいてくれる親友って本当に……かけがえのない存在だなって思います。

そして今日は、垂水の叔父が作った無農薬野菜を、叔母がまたしっかり箱詰めしてどっさり届いていました。
健康なしかも大きく育った白菜・大根・キャベツに人参・レタス…荷造りして送るのも大変なのに…有り難いなぁ…本当に。
感謝の気持ちでいっぱいになりました。
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1.16.am6:00 お弁当にも

やっぱりカツを入れたお弁当で、あとは娘の好きなチーズオムレツやほうれん草バター炒めなどと、おにぎりを詰めて「健闘を祈る!」って送り出しました。

私自身はNHK文化センター神戸で新年初講座。
今年もよろしくお願いしますと口々に挨拶交わしながら、年末からの風景画の続きやまた新たな絵を描きだす熱心なほとんどずっと年上の(年下も少し)生徒さんたちと、あっという間に12時半まで。
「絵を描いてると楽しくて時間がすぐたつ」「先生にちょっと筆入れて貰うと全然変わるわ〜。絵らしくなった」など楽しげに言って下さるのが嬉しい…(でも皆さん上達著しいので、そうそう手を入れるわけではありません、ちょっとしたアドバイスが中心)

そして、2ヶ所の美術館巡り、恩師の展覧会について学芸員さんと色々話しあったり…閉館まで…でした。
夕焼け空を眺め運転しながら、センター試験の次女の事、家で課題のアイデア練る風邪ひきの長女の事、父親の事や今日も仕事頑張る友人の事…色々が頭を去来…
| - | 19:13 | comments(0) | - |
ありきたりでも…試験にカツように…

いよいよ今日は大学センター入試。次女が試験に“勝つ”ように…でゆうべはトンカツ。我が家の定番、薄切り肉で。(安上がりな上みんなこの薄いパリパリとした方が好き)それと身体が温まる根菜の煮物とで。

母にできる事は祈る事とこんな事くらい。
| - | 19:03 | comments(0) | - |
14歳の自分に出会い・・
昨日は、開催中の「Ge新春小品展」会場にちょっと顔だし、そこからその石橋にあるというちょっと変わった古本屋さんに、その店をよく知るYさんにつれて行ってもらったのですが、その店主さんがとても面白い人で、おじさんが画家で、池田満寿夫氏と交流があった話など、色々なエピソードを次々話してくれて、あまり時間がなくて失礼したけれど、古本屋にあまり縁のない私がまた行ってみたいと思える古本屋さん「古書キリコ」さんでした。

この、石橋の街は、去年のGe新春展の時に、住んでたことがあると書いたかもしれませんが、神戸の小学校卒業後に彦根〜池田〜摂津と3つも転校したつらい中学時代の、真ん中・・一番つらかった時期を過ごした街・・

姉の心の病が進み、両親も私も毎日ピリピリ気を使い・・自分自身も多感な思春期の度重なる転校に、なれない友達との軋轢に、つらく苦しい思いを抱えていた・・・でも、自分はそれらを封印せざるをえなかった・・

中学校からの長い帰り道、涙を流して歩いて歩いて・・そして家に着くときには、ちゃんと涙は拭いて笑顔でただいま・・

古書キリコさんへ行く道が国道に交差して、あ、この国道沿いの道・・たぶん通ってた・・
目の前を横切っていく女子学生たちの制服姿のなかに、ふと泣き顔の14歳の私を見た気がしました。

| - | 00:19 | comments(2) | - |
三尾公三先生の展覧会のために…
2000年6月に亡くなられた、恩師・三尾公三先生の展覧会が、今年の11月に岐阜県美術館で開催が決まったと昨年末にお便り頂き、その遺作展の巡回展を引き受けてくれる美術館の相談を受けました。

亡くなった翌年に京都市美術館で遺作展開催されたので、京都では国立近代美術館や府立文化博物館でもまた開催するというのは難しいと聞いていましたし、今美術館が置かれる厳しい状況を身近に聞いている私…いったい何ができるだろうかと思い巡らせ…、でも今年末の展覧会の後の巡回でももう来春であれば大きな美術館では企画は決まって来ているはず、早く動かないと…と、年末から、よく知る美術館学芸員さん、チーフや館長クラスの方にメールをしたりお便り書いたりしてみています。
やはり来春は既に決まっている、でも東京近郊のこんな美術館もありますよと返信メールで学芸員ならではのアドバイス頂いたり有り難く…でも、まだ具体案がないまま、悩ましい…。

40年前のエアブラシに変わられた頃の作品も、今見ても全く古く感じられないし、亡くなる直前まで描きつづけられた「2次元と3次元のだまし絵」「甘美にミステリアスに…幻想空間」とか言われた三尾先生の作品は、あの小柄な体から考えられないほどの大作から、写真週刊誌「FOCUS」を格調高く見せた表紙絵・原画の沢山の小品まで、今の学生達にも見る機会がもっとあって欲しいと(国立国際美術館や兵庫県立美術館の収蔵品展示コーナーで1点ずつ見れたりはするのですが)切に思う私です。

学生にも凄く厳しかったけれど、ご自分に対してさらに厳しい方でした。
京都芸大時代、作品世界も人格も、心から尊敬できる先生に出会えた事、そして学部から大学院まで間近くお世話になり、卒業後も亡くなる直前まで、時にお会いしたり、大変な事が続いて会えない状況下で書いた手紙には、忙しい中あのくせのある芸術的直筆で(封筒の表書きを見ただけで差出人見なくてもわかりました)お便り下さったり…
幸せな事だったと本当に思います。

生前は心配ばかりおかけしたできの悪い教え子の私に、何とか力になれる事があればといいなと願いつつ…
そして、熱が下がって出講した昨日の大学の授業。
三尾先生のような偉大な先生にはなれないけど、後ろから聞こえてきた学生の会話
「あんた何か今日は元気やん」
「うん!朝来て井上先生に一番に『おはよう!』って言ってもらったから」
に、ちょっとこちらも元気貰って…
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病気の日の思い出
ゆうべからちょっと熱が出て・・・一昨日寝不足でサッカー応援が応えたのか、その上昨日今年の商売繁盛運を祈る思いで西宮戎神社(十日戎最終日・残り福)への福笹頂きに(昨年のは返して)ものすごい人ごみに駆け込みで行ったのも駄目押しだったのか・・今日も一日熱。
早朝いつもどおり起きて、朝食準備もして、子供ら順番に送り出してから、成績提出とシラバス打ち合わせに行く予定だったS大学へは、授業はないので、電話連絡とったりしながら、成績は簡易書留で送る段取りして、病院行く前に郵便局へ・・で何とか・・

子供のころは、熱が出て寝ていたら、母が様子を見に来てくれたり、「買い物いくけど、何か買ってきてあげよか?」と、食欲のない私に、果物やカステラを買ってきてくれました。
風邪のひき始めには、卵酒を造ってくれて(子供向けに日本酒は倍に薄めたと言ってたけど)アツアツの甘くてとろっとした美味しさと、そのあとポッポと体が熱くほてったのが懐かしい・・
食べられないときには、リンゴのすりおろしをいつも作ってくれたのも美味しかったなあ・・そんな色々なしあわせな思いが、病気の日の思い出を温かいものにしてくれたんだなと、ふと思い出されて・・
でも、だから私も、子供らや家族が病気になると、自分がしてもらったように、いろいろとしてやりたいと思ってしてこれたのだとつくづく・・・今は亡き母に感謝。

自分は今は熱がでてしんどくても、何でも自分でするしかない大人なわけだけど、やるべきことを(あとで大変になるにしても、)「熱だし今日は仕方ないな・・」ってあきらめて、ベッドに入って横になりながら、読めていなかった読みたい本を読めたのは、これもある意味しあわせな時間でした。(前に40度近い熱のときや、吐き気がひどいときはそうもいかなかったけれど)

夕方何とかクリームシチューやサラダやら夕食準備して、予約していた病院へ。9年前に手術入院しているのに、その後簡単な毎年の健康診断のみで、(忙しすぎたのだけど)内視鏡検査を1年ごとに受けていなかったことにお叱りの言葉。昨年からまた時々微熱が続くことに険しい顔される先生に、こちらが緊張すると、「まあ怖がらずに来てください」と、2月に内視鏡検査の予約を入れられました。
場合によっては検査と同時に切除して、その後一週間ほど安静にしてもらいます・・
9年前は、切除したものが悪性なら、そのまま病院から出られなくなる可能性も言われて、母のこともあったし、身辺整理もして、悲壮な思いで入院手術にむかったのでしたが・・、今回はまだ大丈夫・・と思いつつも、やはり一抹の不安。
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今年の展覧会予定、HP にアップしました

本当は昨年末にはアップしておくべきところ、もう既に始まってる展覧会もあり恐縮ですが、今年2010年の、私の作品が参加する展覧会・個展の予定を、ホームページ(http://www.yoko-scene.com)…このblogからもリンクしていますし、HPのNewsがこのblogに繋がっています…にやっとアップしました。
ご覧になってみて下さい。
なかなか日々目の前の事に追われて、案内状をあまり出せないままに何とか作品だけ仕上げて展覧会突入だったりも多いので、このHPのEXHIBITIONページでチェックして見に来て下さる方も多くて…本当に有り難く思っています。

まだ、他にも未定ながら打診されてる展覧会もありますが、今現在で決まってるもの。
またあらたに入れば、随時更新していきますね。
| - | 13:14 | comments(0) | - |
寒空の下の熱い試合
昨日は、U-13(つまり13歳以下。なので、1年生中心。2年でも14歳になっていない2月3月生まれは出場可)のサッカー選手権大会があり、前日貰ったゼッケンを夜中にユニフォームに縫い付けてやったり(試合後に返して、試合前にそのつど顧問の監督先生が、選手の番号決められるのでした。)、早朝からお弁当作って送り出してから、母達何人かを乗せて車を出しました。

選手層の厚い私学やクラブチームの強豪も多い、西宮市の25チーム。でも、普段から少ない人数で、息子を含め1年生がレギュラーの5人を占める我がチームは、1年ばかりの試合なら…と、先生からも少し期待がかかっていました。

1回戦はシード。
2回戦、押しつ押されつで前半0−0で折り返し、後半も何回も得点されそうになりながら、何とかこちらがゴール。ベンチも、母達や応援に来て下さった教頭先生や小学校時代のコーチも熱く応援が盛り上がる中、その1点を守って1-0勝利で試合が終わると、歓声。
そして昼食休憩、他のチームの試合も待って3回戦。
これに勝てば、翌日の準決勝へ進める…、惜しくもPK戦で敗退して涙を拭いながら帰っていくチームなど横目に見ながら、緊張してか、休憩中に腹痛訴えていた息子…温かいお茶飲ませてお腹温かめたりして、試合にはもう大丈夫と走って出て行きました。

やはり押しつ押されつの目が離せない緊張の連続、前半相手チームに先制されてのハーフタイムでは、いつも負けても笑顔で冗談が出る子供らもさすがに監督先生の指示に真剣そのもの。

そして後半…1点を返して、「勝てるかも…」皆応援もヒートアップ。
…でも、また相手にミドルシュート決められ、最後にまたこちらも決まるかと思ったシュートが決まらずに、タイムアップの長いホイッスル。
準決勝には進めず、ベスト8での終了・・

残念だったけど、みんなよく頑張ったね…
悔しげな試合後の沈黙…次の何かに繋がるかな…と。
かげながらメールでエールを送ってくれてた友人の
「スポーツは勝ち負けがはっきり出るから大きくなれる…」って言葉に共感…

寒空の中立ち続けながらも、大人達も熱くなれたひとときを貰ったことでした。
| - | 12:31 | comments(0) | - |
小さな旅3

北近畿タンゴ鉄道の車窓から…
夏とは全く違う荒々しさの冬の日本海

バスツアーの最後に、バスを降りて栗田駅〜四所駅まで約30分、海に望むローカル列車の旅。
そして、またバスに乗り、三宮まで帰ってきたのでした。

そして帰宅後は、七草粥作りました…風邪で熱っぽかった長女には調度よかったよう。
次女も息子も毎年言ってきた春の七草をそらんじて…。
| - | 23:20 | comments(0) | - |
小さな旅へ…2

雪が霙(みぞれ)になったり、急にバラバラと雹(ひょう)に変わったり…
時に日もさしての不安定な天気でしたが、そのおかげで?賑やかな他の観光客達は昼食後僅かな休憩時間にわざわざ出ることなく、ゆっくりお茶飲んでらして、わざわざ傘を借りて海辺へ出て行った私と息子の目の前には、ちょっと異郷の地まで来たかの、そしてひとけのない静謐な風景が広がっていました…

ここは実は、天橋立。
松林の道を少し行ってから右手に浜辺に出た所なのです。
とても日本的な、日本三景の地での、不思議な出会い…

最近、出会いの不思議を感じてばかり…
| - | 21:25 | comments(0) | - |
小さな旅に…

昨日は、息子の冬休み最後の日…
大学入試直前の娘もいて、私も何だか年末年始もバタバタで、サッカー部仲間は映画やユニバや旅行やら行ったりしてるのを聞きながら、どこへも連れていけないままだったので、息子と二人、日帰りの小さな旅へ行ってきました。
実は、昨年末、応募したのさえ忘れてた某カフェの懸賞旅行…日帰り日本海ツアー…が当たったのでしたが、忙しいし娘の受験前でもあるしやめておこうかと思ったら、息子が行きたいと。
そして娘も行ってき、勉強しとくから…。その言葉たちに背中押されて行ってきました。

日本海側は、思いがけない前日からの雪に、別世界のよう…
息子の為のつもりが、自分が、非日常の世界に、あるいは新作のイメージにつながりそうな風景に、ひたれたひとときとなりました。
| - | 14:35 | comments(0) | - |
大好きな朝の色

刻々と変化する朝の空と海の色を、眺めるのが大好きです。
あ…カメラ…と思ってとりに行く間にも、どんどん色が変化する…

でも、ゆっくり見てもいられないと、家族の朝食準備し、自分の出勤準備もし…ふと次に顔あげるとまたすっかり変わっていてがっかりする時もあればまたカメラ向けたりもします。。

大学初授業は、いい感じにスタートできました。
| - | 06:43 | comments(0) | - |
Ge新春展オープニング
オープニングの始まる5時…
出品作家も、私よりずっと大ベテランの現代美術作家の皆さんで、そこへまた関西の現代美術作家の方々や美術評論家の方々が加わって、ものすごい濃い空気に…
開会の挨拶は、Ge事務局の持田総章先生(大阪芸大教授もされてたGe創設メンバーのお一人)。
そして画廊ぶらんしゅオーナー。
そして画像は、美術評論家木村重信先生が乾杯の挨拶されているところ。

1月5日(火)〜17日(日)〈11日(月)休廊〉
am11:00ー19:00〈最終日は16:00まで)
画廊ぶらんしゅ
池田市天神1−5−16
TEL 072−761−2626

阪急宝塚線 急行で「石橋」下車 西口から出て、商店街を右へ、3分で抜けて、道を渡ったすぐ左手にあります。
お近くへ行かれる方は、ぜひ覗いて見て下さいね。

明日は朝一番から、O大学で新年初授業です。
年末に整理しておきたかった昨年の展覧会の資料ファイリングや、もろもろ・・色々まだ年越しできてない気分のまま、忙しい日常に戻ります。
(年末年始家族の世話も忙しかったわけで・・種類は違えど忙しさは変わらず?・・でも心癒されるひとときもあったし・・また頑張れるかな・・)
2月の展覧会の制作にもかからねば・・
| - | 21:14 | comments(2) | - |
Ge 新春展始まりました

少し前にお知らせした、
2010 Ge新春小品展
今日から始まりました。

私の作品は、入って左手の大きな部屋の左側壁面。
この画像の真ん中奥辺り…
オープニング始まる前の、嵐の前の静けさ…
| - | 19:28 | comments(0) | - |
中島由夫さんの展覧会オープニング

昨日は朝からまた眼科へ。眼のヘルペスもう大丈夫だろうとの事でひと安心。でも、時間がかかったのは普通のヘルペス(口唇ヘルペスなど)でないタイプだからで、また過労になると出る可能性はあり、今回みたいに痛みをともなわずに知らず知らずに角膜が濁り視力が落ちて行く場合もあるから気をつけて…と、脅かされました。(怖い…)

そして帰って食事の段取りしてから明石市立文化博物館へ。
スウェーデン在住の画家・中島由夫さんの展覧会のオープニングイベント。
一階ホールは溢れんばかりの人、2階から見下ろす人もあり、中島先生の迫力あるライブペイントに見入っていました。

会場の作品も、迫力あるアッサンブラージュから、平面作品(油彩・アクリル)の大作たち、そしてオブジェ、陶芸作品まで様々に、見応えがありました。

私は、2階の左側2番めブース辺りの、ブルーやグレーやホワイトの北欧の冬を思わせる作品たちが(ほかの激しい作品たちと少し違う)好きでした。
2月7日まで開催中です。
| - | 09:52 | comments(0) | - |
優しさに包まれたなら…
絵を描く時々に、何らかのの想いやテーマやメッセージを、いかにわざとらしくなく、説明的にならずに、昇華して表現して見せるかに頭を悩ませる画家は多いのです…もちろんジャンルやタイプによるけれど…、私もそのタイプ。
直接描いてしまわずに、人の気配を、想いを、ストーリーを…、見る人それぞれにそれぞれの想いで感じとって貰える風景を描きたい…そう思って描いています。
それは音楽もそうなのかなって…
時に、その奥にこめられた想いに気がついて、胸が熱くなることがあります。

芸大生時代によく聴いていたユーミンの歌も、今また感じ方が違う…

・・・小さい頃は、神様がいて、毎日愛を届けてくれた…
・・・・・
・・心の奥にしまい忘れた、大切な箱、開ける時は今…
・・・・・・
・・優しさに包まれたなら、目に映るもの全てがメッセージ……

遠く色々に想いを馳せながら、聴いていました。
| - | 13:58 | comments(2) | - |
お正月も東に西に…凍える琵琶湖
昨日は家族でお正月祝いをしたあと、午後から年始の挨拶に恒例の井上本家(大津京)へ。
雪が舞い散る灰色の琵琶湖が遥かに見渡せるマンションの高層階。
3月に引っ越しが決まったからここからの風景もしっかり見ておいてねと言う81歳の義母は、皆自分より大きくなった7人の孫達に囲まれて楽しそうでした。
「こうやって、みんなで楽しく集まれるように、まだまだ元気でいたいんやけどね・・」とぽつり・・
女手ひとつで3人の子を育てた強い母も、当然のことながら年齢相応に体力も落ち、昨年は体調も崩したりで、一緒に暮らす義姉(私にとっては高校時代からの親友でY3仲間・モーネ工房でおなじみの由季子さん)が色々と気遣ってフォローしてくれつつ時々気弱な発言が・・
「まだまだおばあちゃんには元気でいてくれないとね!おばあちゃんの作ってくれるものはほんとに美味しいもんね」とみんなで。

(画像の風景はベランダから琵琶湖の北東望む)

今日は朝のお雑煮のあと、明石へ。85歳の父親と昼食。急に何が起こるかわからない病気をいくつも抱えていても、今こうして元気でいてくれる事に神様に感謝…。
一人娘の私が時々体調を崩すと誰よりも心配してくれて、「忙しすぎるんじゃないのか・・あんたに倒れられたら困るからな・・」、ああ気をつけなくちゃ・・と父の言葉に思う私なのでした。

そして、隣に住む80歳のおば(一昨年におじを亡くし子供もいなくて一人暮らしでやはり心配・・)宅にも寄って、しばし話しして帰ってきました。

父は・・・陸軍士官学校から若き士官として戦争へ行き、戦禍極まるビルマで戦い、九死に一生を得てさらに終戦後2年間の捕虜収容所生活。過酷な重労働を熟して帰国した元軍人。
「軍人」というのは、戦争前は確固たる地位があり、戦後はそれが職業自体なくなってしまったのですから、それは天地がひっくり返ったようなもの、大変だった・・と以前聞かされたことがあります。やはり軍人だった祖父(太ももに銃弾の貫通痕がありました、孫にとってはとても優しい祖父でしたが・・)とともに、にわか百姓をして、何とか勉強しなおして、同年齢の人が卒業する年に神戸大学経済学部へ入ったのだそうです。そして、卒業後、カネボウに就職、31歳で母と結婚し、34歳のときに私が生まれたそう。
戦争は実際に体験した者にしかわからない、言葉では言い表せない壮絶なものだから、戦争の話しはしない。と言う父親に、でもそういう体験をした人からじかに話しを聞く事はもうどんどんなくなって、本当に貴重だから、また子供達に機会あれば話せること話してやって…と私。今日も、子供らを前にちょっと話してくれました。
20歳で戦争へ行き10回以上本当に死ぬかと思った事、1年戦い終戦になって収容所で2年重労働して、やっと神戸港に帰ってきた時、あまりの変わりように愕然としたこと、「阪神大震災で神戸の街は大変な状態になったやろ、あんな感じやったんやで…」だから、今、子供達にとっては何でもあるのが当たり前だろうけど、本当に何もかもなかったから、今は本当によくなったと思える。本当に大変なつらい思いをしたけど、今から思えばそれは後々の人生に役立った、苦労はわざわざしなくていいが、若いうちに苦労したり挫折したりすることは、後で必ず自分の役に立つから…と。

受験迫る次女や厳しい就職活動に直面している長女の心に、そのメッセージは届いたでしょうか…
| - | 19:46 | comments(0) | - |
2010年・元旦・祝いの食卓

2010年が明けました。
今年もどうぞよろしくお願いします。

明け方3時頃、やっと出来上がったおせち…柿なますやごまめ、筑前煮に酢蓮根焼き鯖などなど…をお重(我が家のは祖母から貰った俵型の2段)に詰める物は詰め、器に盛るものは盛って…お雑煮の下準備。
テーブルクロスも替え、一輪挿しに千両の小枝を差し入れて黒塗りの丸盆の上にお屠蘇とともにセッティング、そして玄関に簡単な松飾りを作ってつけると、何だか気持ちもキリッと引き締まりました。

年末からの右目の通院もあり、受験生がお正月どころではないのもあり、とにかくぎりぎりまでバタバタ忙しかったのもあって、もう今年はやめてしまおうかとも思った元旦の御祝いでしたが、やはり、元旦の朝に、家族で揃って新年の挨拶をする…そういう日本の風習を、子供の頃からサラリーマン家庭ながら毎年きちんとしてもらってきた事を、私なりにささやかにでも子供達に伝えたい思いはあり…

何とか今年もできてよかったかな…でも今年は忙しい娘達に、「来年はあなた達でやってね」と。
| - | 13:36 | comments(0) | - |
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