YOKO'S SCENE

画家・井上よう子のNEWS。
1.17…でも語りついで欲しい
昨日は、震災に関係するシンポジウムやコンサート3ヶ所を巡りました。

当時私は、大阪府摂津市在住でしたから、神戸・芦屋・西宮で自宅が全壊または半壊されたり、身内や知人が亡くなった方々の前では何も語れない……でも、初めて地震というものに心から恐怖を感じ、4歳と7歳だった娘らが「お母さん!」て泣きながら布団からはい出てきかけるのを、本棚からいっぱい物が落ちてきたり天井の蛍光灯ペンダントが今にもひきちぎられ落ちて砕け散りそうに揺れる下で「布団かぶって!出ちゃだめ!」と叫んでいたあの日は忘れる事はありません。
こんな惨禍の中、生きるか死ぬかの暮らしの中では、絵描きの無力さも痛感しました…
でもすぐにチャリティー展を企画し連絡下さった海文堂ギャラリー島田さん(現・ギャラリー島田社長)の電話に、島田さんや海文堂書店・ギャラリーの無事を喜ぶと共に、自分の絵が役に立てる!…と救われた思いで、子供を小学校と保育所へ送ってすぐ交通機関の分断された神戸の街を、カートに絵を何枚かくくりつけて、時にひびわれた道にカートがはまり込みしながら、沢山のブルーシートの公園で暮らす方々に胸が苦しくなりながら、歩いて歩いて運んで行きました。

昨日、芦屋美術博物館であったシンポジウム。
「震災から15年」の展覧会関連イベントとして、
芦屋在住の大森一樹監督、写真家で元芦屋市写真記録部長・高嶋敏展氏ほか5人のパネラーを関西学院大学教授で美術館運営NPO・AMM(私も時々お手伝いの)理事長角野幸博先生がコーディネーター役されての座談会。沢山の方々が1階ホールを埋めました。
いつもクールなイメージだった大森一樹監督が、「映画やドラマで泣くやつを馬鹿にしていた自分が、一昨日NHKに出演した時は、震災被災者のドキュメンタリーに涙が出てコメンテーターとして困った。昨日は神戸新聞記者のドラマに泣いてしまった。今日はこの会場の沢山の写真にまた涙している。これは一種の…自分とは無縁と思っていた…PTSDなのかも知れない」と語られたのが印象的でした。
その後、松方ホールでの恒例、竹下景子さんの詩の朗読と音楽のゆうべ。
昨年は、舞台に私の絵を飾って頂く光栄頂いて、裏方として動いたり、ボヤ騒ぎで消防車がサイレン鳴らして次々来る中、一時お客を皆避難させたり、また会場にお客さん戻ってもらってから左手のピアニスト智内威雄さんがすぐに場を繋ぎ予定外の演奏までされたり、そして最後にステージに私も出て竹下景子さんに絵をプレゼントし、後から楽屋に来られた神戸の大手菓子メーカー社長のNさん(竹下景子さんとも懇意にされていて、私はギャラリー島田の展に来て頂いていた)が「井上さんの絵もよかったよ」と言って下さった……そのNさんはガンで昨年夏亡くなってしまわれた…
沢山の思い出が残った昨年のコンサートを思い出しながら、今、話題の(ゆうべ情熱大陸で放映された)画家、もう18年前から知り合いの石井一男さんと、並んで座り時々おしゃべりしながら、時に目頭が熱くなりながら、聞いた事でした。

その後、またLOVE&PEACE・LIVE(上屋劇場)にも寄らせて頂いて…
中村よおさんの生演奏も初めて聴かせて頂けたし、榎忠さんの大砲も(私が松方ホールに居る間に終わっていたのを残念がる私に、最後にまたもう一度大砲打って下さって感謝でいっぱいに)…
とても濃い一日を過ごし、色々な沢山の思いを巡らせながら、今朝はまた朝一から大学で授業…
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