YOKO'S SCENE

画家・井上よう子のNEWS。
「悲しみの向こうにはきっと希望の光がある…」

つい悲しいニュースや辛い事に落ち込んでしまいがちな毎日。20年目の1・17の前後から新聞記事や移動の車でのラジオ報道などまた沢山の方々のエピソード、数日遅れで挿絵掲載紙送ってくれる東京新聞にも沢山…あの時あの前夜ああしていれば死なさずに済んだ…20年経っても変わらぬ思いは、40年経ってさえあの時こうしていれば姉は自殺せずすんだかもと今だ時に鮮烈に心に蘇る私には痛いほどわかり涙してばかり。
そして現在…中東での痛ましい人質事件。
私事ではもう手の施しようないからと医師と相談の上本人の意思確認もして緩和ケア病棟へ転院した父が小康状態続くゆえ(それは有り難い事なのだけど)どうしてもまた検査(治療の可能性ないのか)受けたいと言い、無理言ってまた先端医療センターへ明日検査に連れてゆく事に。また再び辛い告知をして頂かないといけないのかな…
俯きがちになってた大学からの帰り道…
ギャラリーSさんから2月9日にたつの市の小学校に私の50号作品が設置される事決まった知らせ、家には竹下景子さんから神戸で会えて嬉しかった、また貴女の絵が見たいとの直筆丁寧なお便り…心に沁みました。心温まる元気頂いて…今夜も頑張って絵を描いて、明日朝から父を病院から病院へまた運びます。
| - | 02:24 | comments(0) | - |
陳舜臣先生安らかに…


陳舜臣先生が今朝亡くなられた…毎日新聞夕刊に月一回連載「海の世紀」に挿絵を描かせて頂いた約1年半、どれだけ沢山の事を学ばせて頂いたろう…
毎回時代も国も違う海に纏わる話、娘の高校世界史・日本史の教科書借りて再び勉強し直したり現代アート作品にも及ぶ内容には大学図書館で調べたり…担当記者さんも時代考証の資料その都度手に入る写真コピーなど探し送ってくれ四苦八苦しながらだったけど、本当に沢山勉強しながら楽しく描かせて頂いた。挿絵担当決まりスタート前に自宅へ担当記者岸さんが連れていって下さって奥様共に楽しくお話した。
連載中の2007年神戸大丸で「陳舜臣の世界展」がありよんで頂いて、不勉強な私はその著作の多さ、推理小説から歴史物、時代小説、現代の街歩きまで幅広さに驚き(これだけ広範囲の深い知識に裏打ちされてあのエッセイがと腑に落ちながら)渡した花束…喜んで下さった笑顔。
2008年1月にまた倒れられて休載という形で連載終わって、元気に復活されるのを日々祈りながらお便りしたり、海が何より好きな先生にお見舞いに送った海の水彩画をとても喜んでると元気な奥様からお電話頂いたのに、その奥様が先に逝かれて心配し…
色々に思い出がまさに走馬灯のようにニュースを聴いて駆け巡りました。
去年「陳舜臣アジア文藝館」立ち上げの会に挿絵原画を展示頼まれ持参し参加した時、息子の写真家立人さんとお会いでき先生お元気ですかと尋ねたら「施設に入ったけど元気です」と、その館のプレオープンには車椅子で立人さんと人が来る前に来館されとても喜んでらしたと聞き嬉しく、安心したのだったのに…
寂しいです。
心からご冥福をお祈りします。
| - | 00:45 | comments(0) | - |
「実際に行動し続ける人の言葉は重い」
今日は早朝からおむすび作って息子をセンター試験へ送り出してからNHK神戸文化センターへ出講。そして病院の父も大丈夫そうなのでデザイン・クリエイティブセンター神戸KIITOへ。加川広重さんの巨大絵画「フクシマ」とやっと対面、加川夫妻とも再会を喜びました。
建築家・坂茂さんの講演は、国内も海外でも被災地へ飛んで行って紙素材を使っての教会の再建や避難所の間仕切り、住みよい仮設住宅設計などボランティアで実際に行動されている方ならではの言葉の真実があり「行政は前例がないとすぐ断るからそれなら前例を作ってやれとごり押しでやった」とか「行政はとにかくすぐできて安い仮設住宅建てようと設計を依頼しない、なら設計料いらないからと。専門家がちゃんと設計すれば同じ予算でも住みよいのができる」貴方を突き動かすエネルギーの素は何ですか?の質問に「自分が好きな仕事出来る事をして人が喜んでくれる。それが嬉しいから」
加川広重さんは「被災してしばらくの東北で、現場にいる絵かきの自分はこの記憶が薄れないうちに描かねば、と思った。そしてできた悲壮感漂う大作を見たくないと言われるかと思った地元東北の方々からこれを東北以外の場所に伝えてほしいと言われ伝えたい伝えねばと思ったと。
竹下景子さんはまた胸に響く朗読の後、20年前の神戸、4年前の東北、自分に何ができるのか…と深く思った、そして呼んで頂いてすぐ行きます!と答えたと。そしてこのプロジェクト発起人皆さんをこの場に呼んだ島田誠さんの「蝙蝠赤信号を渡る」の話し。
どれも言葉に真実があり、心深く響き…本当に行けてよかった…
加川さんの巨大絵画も他の沢山の展示も明日17:00までです。
| - | 22:51 | comments(0) | - |
「時間」

時々止まってくれと思うけど当たり前ながら待ってはくれません。
お正月迎えたと思ったら三が日終わり七草粥、新学期スタート、十日戎(単独自営業ですから毎年地元西宮戎さんに駆け足で参り福笹賜ります。今年も何とか病院帰りに寄り)、鏡開き、成人の日(7年前長女、3年前次女共に早朝から美容院走りまた会場まで走りの忙しかった日を遠い目で思いだし…息子は2年後…)次々過ぎてゆき、今週末は20年目の1.17。息子のセンター入試日でもあります。神戸・東北を思い、始まった見に行きたい神戸KIITOでの展も毎日仕事と父の病院と父に関わる色々に走るのもありまだ時間ないまま…(一日24時間、睡眠3−4時間で食事も入浴も急いでだから、19時間くらい働いてる?倒れるわけにいかないから時々5−6時間寝る日も何とか作ってますが)
でも子供達が今元気でいてくれる事、父も小康状態でいてくれる事、自分がやり甲斐ある仕事させて頂いてる事(教えるのも挿絵も)、絵を見て頂いた方から知ってる方も全く未知の方からも時々頂く心温まるエール、辛い事厳しい事思うよりそんな幸せを思って頑張っていかねばですね。
1月はいく、二月はにげる、三月はさる、あっという間に春が来そうですが、どんな春になっているのかな…
| - | 18:59 | comments(0) | - |
七草粥


昨夜はまた命について深く考えさせられる事があり、ある方の悲しみの大きさ、深さ、思いながら絵を描いていました。今朝はちょっと腫れた目でスタートでした。仕事〜父の病院〜明石の父の家(先日の忘れ物のためとんぼ返り)駆け巡るハードな一日の帰宅後、塾へ行く前の息子に大急ぎで何とか今年も七草粥。美味しいお塩と下茹でした七草の味だけでほっこり美味しくて…疲れた心と身体が癒される気になりました。鮭や梅干し、ポテトと鴨のサラダなどと共に。
| - | 20:16 | comments(0) | - |
新年が色々に始動のこはる日和の一日でした


二日は父を何とか希望通り車に乗せて明石の家まで連れて行き(無事行って帰って来れるよう前もって色々準備し緊張しつつでしたが帰省してた長女にも手伝い頼み無事に)色々と持って来たい物積み込み、貯まった郵便物確認もして整理して帰ってきて、もう帰れないと思ってた父もとても喜んでホッとし…3日4日は挿絵制作(病院も行って)発送。今日から新年始動の新聞社担当者から早速届いたメール入りホッと。今日から病院も通常のリハビリや入浴介護も始まり父も落ち着いているのを確認してから画廊ぶらんしゅの「Ge新春小品展」オープニングに顔出してきました(18日まで阪急宝塚線石橋駅西口から3分です。)
木村重信先生の挨拶で乾杯。出品者以外にも沢山の方々とお会いでき、ちょっと嬉しいnewsも頂いたりで元気頂いて…感謝。画像は私の出品作(右)と芸大同期・奥田輝芳氏の出品作(左)。大学も始まるし色々に新年がスタート、心配事もあるけど前向きに頑張るぞと思えた日でした。今夜も絵を描きます。
| - | 21:39 | comments(0) | - |
2015.1.1 am7:00の空と海


新年明けました。
今は雪になってますが、朝は穏やかな陽射しの中、帰省した娘二人と息子と4人お屠蘇と白味噌のお雑煮とお節で新年を祝い、そして皆で父の病院へ。嬉しかったのか子供らに2時間半ずっと話し続けた父。
もう今年はお正月もないようなつもりでしたが、父が食べられる最後のお正月かもと思い立ち大晦日病院から帰った後に私の定番のあっさり筑前煮や柿なますなど作って…小さなお正月飾りなどと共に持って行きました。
今年も命と向き合いながら、時間と闘いながらの毎日になると思いますが、その時その時を大切に、連載挿絵の制作も教える仕事もそれぞれに誠意尽くし頑張って行きたいと思います。
いつも温かくエール下さる方々に感謝しつつ…
今年もよろしくお願いします。
2015元旦・井上よう子
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