2008.10.01 Wednesday
須賀敦子さん- 憧れの作家- 母のいとこ
作家・須賀敦子さんが亡くなって10年。
今月号・芸術新潮が「須賀敦子が愛したもの」という特集を組んだと知り、すぐに買いました。 彼女は、亡き母方の祖母の、兄さんの娘。つまり、母とはいとこで、子供の頃から、当時イタリアで暮らしていた敦子さんの話しは、母や祖母から時折聞いていました。 その敦子さんが、永く望まれながらも中々書こうとしなかった(イタリア文学翻訳の著書は出しながらも)自身のイタリアでの暮らしを綴った「ミラノ 霧の風景」を白水社から出されるや、講談社エッセィ賞、女流文学賞など大きな賞を立て続けに受賞。祖母は自慢げに、かつて共に暮らした姪っ子の新聞記事など見せてくれたものです。 私は調度、ギャラリー島田の前身・海文堂ギャラリーでの初企画展をして頂いた時で、書店にあるギャラリーだったし、購入して会期中にじっと読んだ記憶があります。 その、切なくなるような行間の余韻…霧が流れるような…心の奥深くに響く文章に、いっぺんに魅せられ、次の個展には、その「ミラノ霧の風景」の本を海の見える窓辺に置いた作品まで描いて出品してしまったほど…。 永年中々じっくり座って本を読む暇もない私ですが、あの本だけは、すっと心に入ってきて、一気に読んでしまいました。お会いしたいと願いながらも、とうとうかなわないまま逝ってしまわれた敦子さん。 でも、電話でよく話していた祖母が、 「よう子は、家事育児や家族の世話で、ぶつ切りに少しずつしか絵が描けない様子だけど、そんな事でいいのかしらね」と言うと 「永く続けていれば、うまい人だけが残ってくるから・・よう子ちゃん大丈夫よ」と、敦子さんが言って下さったと聞き、そうだ、継続は力なり…、少しずつでもずっと頑張り続けようと。 今でも時々その言葉を思い出しています。 …その敦子さんの夙川の実家・須賀家に、今思えば…、その海文堂ギャラリーでの記念すべき初個展でDMに載せた「7月の記念日」という私の作品があるはずなのです。 実家を継がれた敦子さんの弟さん(早くに亡くなったのですが)のお嫁さんE子さんが、個展最終日に買って下さって、長らく飾って下さったのでした。 敦子さんが少女時代を過ごした家、私も祖母とお邪魔したことがあるその家を、その何年か後に、私の50号の絵が見つめ続けることになるとは・・不思議なご縁を感じています。 震災で被災され、平屋に建て替えられた後も、「よう子ちゃんの絵、無事に飾ってあるわよ」とE子さんから聞いて、有り難かったのでしたが、それからも随分経ち…今は息子さんの代が住まれてるはず…あの絵はどうなったろう…ふと思ったことでした。
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