2021.12.08 Wednesday
「この本と出会った」産経新聞12.5
少し長くなりますが、依頼頂き書いた文章(産経新聞12.5に掲載)を以下に。
「それは、遠い日、高校時代のある日の放課後、美術の先生から見せられた画集だった。 風景、室内、人物を抑えた色調で描いたとても静謐な作品たち。例えば、光があたった籠が壁に立てかけてあるだけの「月曜の朝」、海を望む窓のカーテンがふわっとこちらへ開いた「海からの風」…。強く訴えるわけでなく、たださりげなくそこにある風景のよう。それなのに、それだけではない何かが確かにそこにあって、心の深い所をぐっと掴まれた。 アンドリュー・ワイエス。 誰?初めて聞く名前のその人の絵に、鳥肌が立つ思いで見入ってしまっていた。細密でリアルな描写、なのに「実際の風景ではない」と、ワイエス自身が語ったその言葉にも惹かれた私は、あぁ、こんな絵が描きたい、やっぱり私は絵が描きたい…封印していた気持ち、見ないふりをしていた思いをしっかりと自覚してしまったのだった。 この出会いの3年ほど前、私が高校受験を控えた中3の秋、姉は17歳で自ら命を絶った。繊細で、絵を描くことが好きで、中学生でヘルマン・ヘッセの「車輪の下」を読むような文学少女でもあった。 思春期の衝撃的な出来事は私の心に大きな哀しみとともに人の存在のはかなさを刻印し、それ以上に悲しみに沈む両親への妙な責任感をもたらした。 高2で進路選択をする際、迷いに迷ったあげく理系のコースを選んだのは、芸術大学から画家という不安定な道よりも、両親が安心するだろうとの思いが強かったからだ。 3年になると、当然ながら理系の授業に追われ美術の授業はなくなった。文系クラスで芸大を目指し、画塾でデッサンや色彩構成も学ぶ友を横目に、心のどこかで本当に自分はこれでいいのか、との思いが膨らみそうになるのを必死で抑えていた。 そこで出会ってしまった…。 医学部進学を期待していた両親をはじめ周囲の人々の落胆を思った。けれど、私は描きたい。私を突き動かしたのは、今思えば、天国の姉だったのかもしれない。決意を固めて両親に頭を下げ、生活はちゃんと美術科教員になって支えていくから、難関だが学費の安い京都市立芸術大学の受験を許してほしいと言ったのは高3の夏だった。 今頃になって進路変更するなんてと担任にも美術の先生にも困惑されたけれど、とにかく必死で毎日デッサンし、画塾へも行き、学科の勉強もして芸大に入学した。そして長い時を経て今、画家としての私がある。 近年新たに出版されたワイエスの画集に、彼の絵の根底に流れるのは、喪失感である(青年期に突然父親を亡くしている)とあった。私の心をあれほどに掴んだ理由がやっとわかった気がしたのだった。」
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