2017.01.14 Saturday
記憶と海
今日は寒くなりました。センター試験受験生はたいへんだなと思いながら、冷たい風に波立つ光る海を眺めています。
神戸新聞随想、1回目の「記憶と海」。こちらにもお伝えしたつもりでいたら書いていなかったんですね。以下に・・・ 「8月29日〜9月5日、東京銀座のギャラリーで「井上よう子展ー記憶に漂う」を開催させて頂きました。新作発表と、昨年末までに本誌夕刊に連載された白石一文氏の小説「記憶の渚にて」に伴走した挿絵原画の後半分180枚も展示するものでした。(前半は3月に神戸のギャラリー島田で展示) 「記憶」…誰もが毎日意識せずして向き合うもの、忘れ物に困ったり、ふとした事、音、匂いなどですっかり忘れていた事が蘇ってきたり、モノクロの思い出に色が差したり。 かつて私が芸大で画家を目指すべく描きだした絵は、迷い迷いながらいつか一つの方向「大切な存在のはかなさ、切なさ、温かさ」へ向かいます。それは17歳で自死した姉の影響が大きかったのですが。その存在の気配を留めようとした1983年作「逝ってしまってわからない」、90年作「遠い喧噪」、93〜94年作「時の封印」シリーズ、夢の記憶を手繰り寄せた「Long Dreaminess~長い夢」等、思えば「記憶」というテーマは永年根底にあり、その背景にいつも海があったのです。 白石一文さんが記憶を海のようなものと例えられていて鳥肌が立ったのですが、前回の横浜トリエンナーレタイトルも「華氏451の芸術…世界の中心には忘却の海がある」でした。私の記憶の海は小学生時代毎日眺めた神戸・東灘の海、毎夏滞在した九州祖父母宅近く博多の海、展覧会等で4回行った北欧デンマークの海、そして悲しいほど輝いていた震災3年後の東北の海。温かい記憶、悲しい記憶…でも、記憶は過去のものではなく、明日への扉を開け背中を押してくれるものでもある…そんな気がしています。 2016.9.14 神戸新聞掲載 」
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