2010.10.04 Monday
大いなる決断
ずっと考えていたけれど、踏み出せずにいた・・その決断をついにしました。人からみれば小さなこと、でも・・私にとっては大きな一歩。
小さなとっても古い(築何年かも、大家さんが思い出せないほど・・)アパートの一室だけど、アトリエスペースを借りました。 個展や美術館での大作を前に、「こんな大きな作品、大きなアトリエで描いてはるんですか?」とよく聞かれます。いえいえとてもそんな余裕はなく・・小品は日々仕事終わっての深夜に自宅の一角で、大作は計画的に大学の長期休暇中に、学生も使えない時期に無理言って何日かだけ入らせてもらってほんとに限られた時間で綱渡りのぎりぎり制作。 でも、それも、少子化の波で生き残りが大変な大学は、休み期間にオープンキャンパスやら営業活動が増え、使わせてもらうのが厳しくなってきていて、制作場所を考えていかないと。。。と切実な思いが高まっていました。 明石の父の家に行けばスペースはあると言ってもらいながらも、父のことで走ることはあっても、日々忙しい中仕事のあとに片道高速道路とばしても1時間かかるのは・・それも寝不足で夜の高速を帰ってくるのは・・厳しい・・ 結婚して、子供もできて、生活費用も大変になり、何より、子供が小さい時はしょっちゅう熱だしたり、水ぼうそうやらインフルエンザやらとにかく昼も夜もなくみてやらねばならない時は家を離れるわけにはいかなくて、夜中も看病の合間にちょっと制作(水分補給したり着替えさせたりあまりに高熱になったら座薬をお尻から押しこんだりの・・)続いて、「効率の悪い子育てしてるね」といわれるように、年齢のあいた3人の子供たち・・(いろいろ大変な状況で流産したり、仕方なかったのですが)上の子がちょっと落ち着く年になったら下の子が大変にの状況くりかえし・・・保育所通いも長女から末っ子卒園まで足掛け15年の長さで・・ずっときました。 大学院出た直後は、その資格給も着くし、同世代よりは高給を頂けた私学女子校専任教師(いわゆる独身貴族?)、結婚するまでは実家出ることを嫌った両親のために(早くに姉を亡くし、残された一人娘の私を過剰に心配するのは、親心としては仕方なかったのでしょう)、独立して独り暮らしではなく、仕事から帰っても行ける自宅近くに、自宅に生活費も少し入れながら、アトリエも借り制作していました。 でも、簡単に高給いただけるはずはなく、過酷な女子中学の担任生活では、せっかく借りてるアトリエに行ける時間もどんどん減って、からだも壊し、教師か作家かで迷いに迷ったあげくに退職して、専門学校非常勤をしながらの作家活動に。。。 今、子供たちは多少病気しようがほっておける年齢になってきたものの、末っ子はまだ義務教育の中学生とはいえ大学生二人をかかえ、働けど働けど学費貧乏の日々。 でも、先月の個展で、今まで以上に沢山の方々にありがたくも作品買って頂き、今まではそういう絵が売れたお金も、気がつけば生活費の赤字補てんや、子供らを思いきって行きたがってたディズニーランドツアーに連れて行ったり数少ない家族旅行費用に消えてしまってきたので、今回それを消えてしまう前にアトリエの費用に設備投資?させてもらおうと、自分にとっては一大決心。 とりあえず、それで保証金と向こう1年間は払えるから、その先払えない状況になったらまた考えることにして、一歩を踏み出しました。 大きくなってきた子供らはそれぞれに夜更かしになるし、みなが寝静まってからの貴重な制作時間も少なくなって、何かと頼まれたり話聞いてやらねばならなかったり・・それもときどきは大事だけれど、個展中に島田さんに、「あなたは作家なんやから、作家としての時間を、ゆったりと思考する時間も含めて、もっと取れるように、家族にももうそれぞれ自分でできることはしてもらって、ちょっと闘ってでも、作っていかないと・・」 そんなアドバイス頂いて、背中を押してもらっての決断。 昨日は鍵を受け取って掃除にいき、今日は午前午後3時間ずつフルに授業の忙しいO大学授業のあとに帰りに一瞬ながらちょっとまた荷物運んだりもして・・・ 何とか、またそこからいい作品が生み出せますように・・・! 祈りながら・・
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