2010.04.02 Friday
チャペルでの入学式
昨日は次女の入学式でした。
出来立てのチャペルでの、キリスト教式入学式。 パイプオルガンでのバッハの演奏で厳かに始まり… 聖書の言葉を読まれたり、賛美歌を歌ったり… 神戸・東灘の海の前の社宅に住んでいた小学生時代、毎日曜、芦屋の教会に通って、ミサで賛美歌を歌い、聖書のお話しを神父様から聞いた… なんだか…、幸せだった(母も姉も元気で…)少女時代にタイムスリップするような… とても優しい時間が流れた入学式でした。 食事の前には今日も食事を与えられた事に感謝のお祈りをする…そんな日々色々への感謝を忘れない気持ち、 罪深き自分をゆるして受け入れてくれる…右の頬をぶたれたら左の頬も出す…そんな寛容さ… キリスト教の教えは、今の時代に必要な優しさが、難しくなくそこにある…ふとそんな気がしました。 (キリスト教にも、カソリック・聖公会・プロテスタントと色々ありますが…) 家は仏教(仏教の教えもちゃんと勉強すれば根底にある救いは同様に…多少はわかってきたけれど、なかなか難しい…)だし、両親から言われたわけでもなく、どういうきっかけで毎日曜日に教会の日曜学校へ通うようになったのか、今となっては記憶もさだかでないのですが、日曜なのに早起きして2つ3つ年下の女の子(たしかオオサキさん?)を迎えに行って一緒に行っていました。 その子がクリスチャンだったような気もしますが、母が「よう子は小さい子の面倒をよくみるのよ」と誰かに言ってるのを聞いて嬉しかった記憶があるので、その子に一緒に行ってと誘われたのかな… きっかけはなんであれ、幼稚園もキリスト教で、イースターには色付き卵を貰ったり、クリスマスにはキリストの誕生劇をしたり(東方の3博士の前で、イエスキリストの赤ちゃん人形を抱いて独唱する憧れの聖母マリア役をやらせて貰った、今よりずっと恐いもの知らずの幼稚園時代でした)していた私が、小学校時代も教会に通ったのですから、いつも聖書のお話しが自然と身に染みこんだ気がします。 保育士を育てる短大に、ふさわしい、入学式での聖書の言葉 <マタイによる福音書 7・7〜8> 求めなさい。そうすれば、与えられる。 探しなさい。そうすれば、見つかる。 門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。 だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。 <派遣の言葉(創世記28・15)> 見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたがどこへ行っても、わたしはあなたを守る。わたしは、決して見捨てない。 ちょっとしんどくなってる友人にも、聞かせてあげたい言葉たちかも知れません。
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