2009.05.25 Monday
描きかけの絵…そして涙
ゆうべも日付が変わった深夜に、色々な事が片付いて、家族みんなも寝静まってから、スケッチブック開いて作品の構想を練りながら、ラフに鉛筆を走らせてみたり、出品依頼を受けている「雨の日の小さなつどい展」(6.18(木)〜23(火)大阪・茶屋町-GALLERY4匹の猫)に送るべく描きかけの小さな作品(画像の作品)に向かいながら、ギャラリー島田さんから届いたインフォメーションを開きました。 展覧会案内のページを見てから、次のページへ進んで、読み進むうち、涙が止まらなくなりました。 そこには、今大病と闘う奥様の事(先日、私も励まして頂いてきた大切な人と書いた悦子さんの事です)が、島田さんからの温かい目線で書かれていました。 大好きなクラシック音楽も、最近は家でほとんど聴かなくなった…それは、辛い治療で弱って、何回か悦子さんが家の中で転ばれたり、気を失われた事があり、そんな事が起こった時に発する「あなた…」のか細いよび声に、すぐに応えるため。 いつもいつも誰かの相談にのって(大きな支援や助成事業から、個人的な本当に小さな相談まで…)いる島田さんに呆れて、「いつになったら私の相談にのってくれるの」が口癖だった悦子さんが、まさに晴天の霹靂のように大病に倒れた…、今こそ約束の時だ、と…「今、目の前にあるこの人の危機に向き合わなければ、私の今までの口舌、振る舞い「すべては何なのだ」と思われたと。 家事を引き受け、夜の会合は断り、1年8ヶ月。でもその間も、ギャラリーの仕事にも社会的活動にも手を抜かず、時間の許す限り、画家達の相談にものって来られたのも知っています。 そして、島田さんが、悦子さんの病床のお父様から、義兄さん達もいるのにたっての頼みで、三菱重工を辞め海文堂書店の若き社長になられてから、同族経営の軋轢の中、大変だった事は知っていましたが、いつもけっして肉親を擁護する事なく、逆に敵に回してでも島田さんを支えて来られた悦子さん…その知られざるエピソードにも、感動してしまいました。 悦子さんは、悲しみや苦しみを私にも一切見せた事がなく、いつも明るくポンポン飛び出す潔い言葉で、私を励ましてくれたのです。 そして、その大変なストレスが、癌体質の家系とあいまって…と、大病の責任が自分にあるかも知れないと語られていた島田さん。 20年のお付き合い…、お世話になりながら、はたで見てきた私は、あらためて、お互いを想いあう本当になんて素敵なご夫婦だろうかと。 「自分に向かい合い、問いかける日々です。…中略…様々な死と向き合ってきました。…中略…しかし、考えてみれば、生死の水際を歩む人と、全ての時間や苦しみを共にあるという向かい合いではなかったのです。なにものにも勝る学びの時を過ごしています。あまりにも大きく、あまりにも辛い学びではありますが。」 その言葉に、22年前、死の宣告を受けた母に、長女をお腹に宿しながらも、必死で毎日寄り添った日々の、毎日祈り続けた悲愴な想いが重なり、また涙…
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