2010.03.25 Thursday
きたやま おさむ さん・・ 毎日新聞の記事に・・
昨日の毎日新聞に[ひと]欄に、きたやまおさむさんが取り上げられていました。
「「戦争を知らない子供たち」で71年にレコード大賞作詞賞を受け、「あの素晴らしい愛をもう一度」が大ヒットするなど時代の寵児に。その喧騒から逃れるように76年に留学した英国でフロイト派の精神分析学と出会った。以来、臨床の分析家として傷ついた人の心に寄りそうことを[主]、作詞活動を「従」に二足のわらじを履いてきた。 それだけに、学生時代に作った、ザ・フォーク・クルセダ―ズ以来の朋友である作曲家、加藤和彦さんの昨秋の自殺は二重にこたえたという。」 音楽には全く素人の私でも、冒頭の2曲は知っているし、この二人の名前くらいは知っていたのと、知り合った友人が影響を受けたグループであったことや、京都でお世話になっているギャラリーaさんの弟医師さんが、大学で同級生だったことも最近知って驚いたということも重なって・・すぐ目にとまり読んだのでした。 そうしたら・・ その上に自分が大学時代に影響を受けたフロイトの精神分析学(私はその後どちらかといえばユング心理学のほうへ・・)から精神分析の臨床と研究の専門家へ行かれたのをこの記事でしり、その上九州大学で教授をされていた・・九大は母方の祖父母の家のすぐ近くで、毎年夏休みに長期滞在するあいだに、何回も横や中もとおっていたし、祖父も毎朝ウォーキングしていたという、非常に個人的にながら慣れ親しんだ場所・・私の姉が、17歳で自殺をはかり亡くなってしまったのも、その九大そばの祖父母宅でした。 [「僕の仕事を百も承知で彼は暴挙に及んだ。それを僕は止められなかったんだから」 喪失感、無力感に圧倒され、「もう作詞はやめる」と口にしていたころ、3月末で九州大を定年退官すると知った地元のバンドにライブに招かれた。行くと、かつて自分が作った歌ばかり歌いまくっていた。本人も忘れかけていた曲を含めて18曲も。 「それで消えていた電灯がついたみたいになってね」 人は身に起きた不幸を飲み下し、心の胃袋で消化して、それを身につけることで乗り越える。その過程が自分にも起きたのだろうと分析する。」 ものすごくよくわかる気がした・・・ 一番なんでも言いあえたはずの私が姉の自殺を止められなかった喪失感、無力感と、人の心に寄りそう精神分析の臨床医でありながら友人のそれをとめられなかったきたやまおさむさんのその思いが・・・ そして、私が、そこに今までいた大切な人の存在や気配を、絵に描くことで 悲しみを消化して身につけて乗り越える過程を経てきたんだなということが・・ 実感をともなって重なってみえたのでした。 「立ち直るきっかけを作ってくれたバンドと4月8日に東京、10日に大阪でコンサートを開く。そこで発表すべく作詞中の歌の題名は「早く逝こうとする君」。傷ついた人へ語りかける歌にするつもりだ。親友を止められなかった精神分析家の務めを果たすために。」 病気での死や事故死も、もちろん大変悲しいことだけれど、自殺というのは、本当に、あとあとまでも、何年何十年たっても、身近な人の心に、悲しみに加えての後悔や無力感やらたくさんの消えない傷あとを残すのです。 勿論本人もものすごく辛くてのことなんだけれど、残された人たちにも・・・ だから、それだけはしないで・・ 一人でかかえこまないで、親しい人に話をできるだけ聞いてもらって・・ 急がずゆっくり前を見てほしい・・ 自分をとても大切に思う親や兄弟や友人やらがいることに気がついてほしい・・ そう思います。 きたやまおさむさんのコンサート・・・聴いてみたくなりました。
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