2010.03.06 Saturday
初心に返る…
大学4年の終わりに、初めての個展をしました… 1981年の1月6日〜11日 京都寺町三条下る ギャラリーF 長谷川洋子 個展 当時の色々な資料を保管されてる方が、仕事の資料調べの合間に情報誌・プレイガイドジャーナルに載ってたその初個展の活字情報を見つけてメール下さってびっくり・・・感謝・・・ 帰宅後に当時のファイル引っ張りだしてみました。 今日は、NHK文化センター神戸での講座でまた熱心に頑張る方々を和気あいあい指導させて貰って、その後ギャラリー島田でお預けしている「雨の物語」作品を写真撮影。(今年も「現代の洋画」に掲載する作品ポジの依頼があって、この一年の作品の中で考えてそれに)スタッフウグイスさんが「雨の日に雨の物語…ですね」 石井一男さん現象から引き続き多忙に目まぐるしいギャラリー島田、体を心配してしまう島田さんもウグイスさんも、元気に(気が張って?)頑張ってられて、来週火曜のマコトサロンのお手伝いすること伝えしばし歓談。それから、今週引っ越しをして大変なモーネ工房まで、少しでも手伝いに車を飛ばそうかと思ったのですが、電話連絡がとれず、夕方になって行っても不在だといけないし、とりあえず元町の美味しい焼豚(新生公司)を買って明日着くエクスパックで送って帰宅したのでした。 高校3年の時、両親を安心させるべく医大を受けようと一旦理系コースに入っていながら、やはり絵が描きたくなって芸大受験への進路変更を許して貰った私は、大学4年の夏、大学出てすぐ、絵を書き続けるにしてもちゃんと安定収入を得て両親をサポートしていきたいと、大阪府の教員採用試験を受験、一次…そして二次も無事受かり合格通知を受け取っていました。 けれど、世界的な画家・三尾公三先生について指導頂いていて、秋には初めてトライした全国公募の独立展にも入選を果たし、自分の作品が初めて東京都美術館、大阪市立美術館、京都市美術館に巡回展示され、ともに初入選果たした友人は大学院の試験を受けると・・・。 物凄く迷ったあげく、後悔したくないと、両親に「あと2年大学に行くわがままを許して欲しい。もし大学院に受かればだけど…。」頼み、大学院受験。 外部からも内部からも受験するし、希望の教授の研究室に入れるのはわずか二人(洋画の教授は5人で、合計は10人)。ともに学ぶ友人もライバルとなり厳選で発表はドキドキものでしたし、仲間が落ちて複雑でしたが、大学院に無事合格。その大学院試験に挑んだ100号作品2点や、初めて独立展に入選した作品、そして展のためにあらためて渾身の思いて描いた作品たちを並べた初個展… 22歳、若かったけれど、とにかく初めての個展に必死で毎日とことんまで頑張っていた…今と違って朝から晩まで毎日絵を描けた、思えば幸せな日々でした… なけなしのアルバイト料はたいてギャラリーも借り、案内状も一番安上がりの一面一色刷り(好きなブルーで)。 展覧会後、疲れで高熱にダウン・・・、1週間病院で点滴となりました。(昔から自分の体力わきまえずに突っ走ってしまう人でした) 会期中すでに安静を言われて、親友の由季子・・あの今のモーネ工房の・・にギャラリーに詰めてもらったり・・ そうそう、高熱で搬出もできずに、同級生二人・・・今や洋画家として東京や京都の百貨店で展覧会する水口裕務クンと、現代美術界ではもう有名人になって国立国際美術館でも展覧会があった今村源クン・・・に頼んでやって貰ったのでした。 あのころに帰りたい…とは思わない。 それなりに大変な日々を過ごしてきての今の自分があると思うから… でも、ひたすらに描いたあの頃の作品に・・、とことんまで描いたまっすぐな想いに…、立ち返り考えさせられています。
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