YOKO'S SCENE

画家・井上よう子のNEWS。
やっぱりおかしい・・・「6月24日・・・あれから1年」
今日も、ゆっくりPCに向かう時間ないだろうと思って、朝からバタバタと家事をこなして飛び出して、バスや電車に乗ってる間や、早く着きすぎちょっと約束の時間まで40分くらい待つ間にも、携帯からこのブログへ書き込めるメールを、画像も添付して書き終えて、送信。
夕方帰宅してPCをのぞいてみて、「え・・・・・・」

やっぱり届いてない。

それからまた、再度携帯から再送信してみても、届かない・・・・

その何通もがすべて送信済みになっているし、20日に送ったのまでは確かに届いてアップされてたのに、本当にどうしてしまったのか・・訳がわかりません。
携帯のほうの問題があるのか、PCに問題があるのか、あるいはブログのサーバーに何か問題が起こってるのか・・・・
そのあたりが一番弱い部分の私だけに、誰か助けて・・状態。

で、今朝、携帯から送った文章を、画像抜きになりますが、下記に。


去年の6月24日、
島田悦子さんが亡くなられました。

今朝、ひとり、黙祷していました。

ギャラリー島田社長として、その前身の海文堂ギャラリーでは社長夫人として、もう20年来・・・お世話になっていました。

ご主人、島田誠さんを立てながらも、時々島田さんをタジタジさせはる物言い、いつもきびきびと、明るく励まして下さっていました。

出産直後にも1か月休むことすらできずに生活のために仕事に出て、子供たちのこと、父のこと(当時入退院くりかえしていて)に追われ、でも、海文堂ギャラリーで展覧会を企画していただいて絵を出せることが、希望の光のようで頑張れた私・・・に、
展覧会前にまた痩せたわねえ・・と
「仕事に出て、家事・育児・お父様のことも一人でして、みんなが寝てる夜中に身を削って絵を描いて・・・<鶴の恩返し>の[おつう]みたいでしょう」と、
ギャラリーに来たお客様に、応援してあげてくださいね、と言ってくださってるのが聞こえて、涙が出たこともありました。

ご自分は、けして人前で弱音を吐かない方でしたが、さすがに病気の宣告を受けられた後、私が何度かしたお届け物にお礼のお便りを何度か下さった時、明るく書かれた最後に、
「こんな事になってしまって・・・、一番困っているのは誠さんなので、時々マコリンの背中を押してあげてね・・」じんときました。

悦子さんが大病に倒れられてから、かいがいしく仕事も家事も看病もこなされてた島田さんと、その家事を厳しく指導しながらも、あとに一人残して年下の自分が先立つことになってしまった事が心残りでたまらない悦子さんと・・・お二人ともに・・・自分が何か役立つことはないか、少しでも恩返しできることはないか・・たまらない思いでした。

そして、体調が悪かった中、一昨年の私の、兵庫県芸術文化協会からの授賞式には、綺麗におしゃれして夫婦で出席してくださって、
大変な状況を過ごしてきたことを知ってくださってる悦子さんだから、
「あなた、本当にここまでよく頑張ったわね・・」
賞状を受け取る間もずっと泣いて見守ってくださって、そのあとお二人のおかげでの受賞だからと娘・息子から花束を渡して、私も悦子さんと肩を抱き合って泣いてしまいました。

本当に大切な人でした。
そして、まだまだお元気でずっといて下さるつもりの人でした。


(本当は、幼い娘二人を抱っこしての私と悦子サン・島田さんとの、15年前の個展の画像や、授賞式に子供たちとお二人と一緒に・・それが悦子さんの最後のお元気な写真になりましたが・・列席してくれた教え子が撮った写真など、添付してたのでしたが・・)


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