YOKO'S SCENE

画家・井上よう子のNEWS。
描かずにあらわす

一昨日は、京都国立博物館で、明日まで開催中の、長谷川等伯展に行ってきました。
物凄い人だと、2時間待ちだったりするとか聞いていましたが、語り尽くさずに、描き過ぎずに、伝えたいものを伝えたい。(人物の存在感や切なくはかない気配も、直接描かずに表現したい…)と日々模索し続ける私には、等伯の、水墨画になってからの世界は(初期の曼陀羅や仏画や金箔を張り巡らせた隙間なく描かれた風景はあまり好きではないのですが)、まさにその極限の気がして、是非見に行きたく思っていたのです。

一昨年まで1年半描かせて頂いた、毎日新聞の陳舜臣先生エッセイの挿絵の仕事で、いつも私の希望に添った資料を多忙な中走り回って揃えては送って下さったり、陳先生のご自宅まで一緒にご挨拶に連れて行ってくれたり、本当にこまやかにメールや電話やり取りしながらお世話になった岸桂子記者が、今は東京で美術担当の代表格記者として活躍されていて、その岸さんが、今年に入って毎週毎日新聞日曜版に、長谷川等伯についての検証記事をシリーズで細やかに書き綴られてたのも毎回拝読し、等伯が身内の死に(自分の後継者と期待し実際実力を見せ始めていた息子の死-等伯55歳のとき-や、先妻の死だけでなく息子亡き後も後妻にも先立たれ、心からの信頼関係を結び引き立てても貰い息子が亡くなった時にはそばにいてくれて信仰に導かれる事で慰められたであろう(岸さんの記事より)本法寺第十世・日通上人までも、10歳も年下にも関わらず先立たれ(その肖像画も描いていて、重要文化財)…
等伯が、絵を描く事で悲しみを乗り越えようとした思いも、私には痛いほど心に響いたのでした。

描かずにあらわす…

実際に見る事ができた「松林図屏風」は、期待を損ねる事のないものでした。

でも、そんな傑作を描いたにも関わらず、才能ある息子の夭折、亡くなる時後を託したもうひとりの息子も翌年亡くなり、ライバル狩野派が有能な3人の息子により一派の力を確実にしたのとは対照的に、一度は闇に埋もれ、若き日の名前「信春」と「等伯」が同一人物であることさえ昭和に入って見解が生まれたと言う事には驚かされます。
没後400年にして史上最大規模の展覧会がやっと実現し、ゆかりの地での顕彰事業が進んでいるというのは、どんなにいい仕事をしていても、スポットが当たる当たらないで盛衰が分かたれる、人の世の常を思わされました。
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